2018年5月-この人のセニョ〜ム 君島 仁 さん

君島 仁 さん
アルバイト先で見た光景に憧れて料理人に
マレーシアで経営者に、新メニュー提案も

1969年、横浜市生まれ。東京の調理師学校を卒業後、首都圏のホテルやレストランでフレンチ、イタリアン、和食などさまざまな料理の経験を積む。30歳の時に来馬。2001年、パートナーと「OZEKI TOKYO CUISINE」をオープン。03年、アジアを中心に各国シェフが腕を競う「マレーシア・インターナショナル・グルメ・フェスティバル」で最高賞を獲得。各所で開催される料理イベントのインストラクターとしても活動中。

今年でオープン18年目となるKL日本料理の老舗「OZEKI」。寿司や刺し身、天ぷらや季節や旬の食材を使った純和食から創作料理まで、多様な日本食を提供するお店としてローカル客にも人気です。全てのメニューをプロデュースするのはオーナーシェフの君島仁さん。一体どんな人なのか興味をもって尋ねてみました。
「学生時代はサッカーとハンドボールに夢中で、体力だけには自信があった。将来のことは何も考えていなかったけれど、17歳の夏にアルバイトをした酒屋の配送先の飲食店でたまたま見た、厨房に立つガタイのいい料理人の後ろ姿が格好よかった。それが脳裏に焼き付いて『料理人になろうかな?』と単純に思ったのがこの道に入ったきっかけです」。
調理師専門学校を卒業して志望したのはフレンチ。その後、東京と神奈川のホテルやレストランで働きながらイタリアン、和食などさまざまな現場を渡り歩きます。
「ジャンルにかかわらず、とにかく“本物"になりたかった。主に担当していたのはメイン料理の出来を決めるストーブ前。花形といわれますが、数百人分のオーダーをお客さんの食べるスピードを考えながら一手にさばく、最も神経をつかうポジションです」。
オーブンの火に囲まれ40℃超の暑さの中で料理を作り続ける日々。体力自慢の君島さんでもきつかったといいます。マレーシアに来たのは修行を積み料理長にもなった節目の年。知人の飲食店オーナーから「ちょっと変わった日本料理店をやりたい」という話を聞き、面白そうだと手を上げたそう。
「メニュー開発や経営にも興味があった。オリジナル料理では和と洋の融合、カルパッチョ風『ニュースタイル刺身』が好評になったのをはじめ、『パエリア鍋で作るチゲ鍋』や、『トリュフとシーフードのうまだし卵のタジン蒸し・生のりあん』などを考案、日本料理をベースにしつつお客さんが驚くようなある種のフュージョン料理を出す形が出来上がった。マレーシアの食文化に新しい刺激を与えていきたいです」。
日本にいる時から一貫して心がけてきたのは、「現場に立ち続ける」こと。今もほぼ毎日店頭に立ち、厨房から出てくる料理の盛り付けや店内の様子に目を配りスタッフに指示を出しています。近日中には200種類に上るグランドメニューの改定を予定。「人気商品は残しながら、新しいアイデアも試していきたい」と意欲的に語ってくれました。

2018/04/26 | カテゴリー:この人のセニョ~ム

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