2018年6月-この人のセニョ〜ム 安藤美姫 さん

安藤美姫 さん
スケートの美しさを伝えるため交流事業で来馬
「これからどんな選手が出てくるか楽しみ」

1987年、名古屋市生まれ。フィギアスケート選手。9歳から本格的にスケートを始める。中学1年生の時には5種類の3回転ジャンプをマスターしていた。2002年ジュニアグランプリで史上初となる4回転ジャンプを成功させ優勝。06年トリノ五輪出場。07年世界選手権優勝。08年四大陸選手権3位。09年GPファイナル2位。10年バンクーバー五輪5位、全日本選手権優勝。11年四大陸選手権優勝、世界選手権優勝。

4月、サンウェイ・ピラミッド・モールで開催された日馬交流60周年を記念したアイススケートイベントに、日本から安藤美姫さんがやって来ました。マレーシアに来るのは今回が初。イベントの合間にセニョームの単独インタビューに応じてくれ、こどものころの思い出やスケートに取り組むことになったきっかけ、その後の海外生活で学んだことなどについて話してくれました。
「こどものころ、家では必ず家族全員そろって晩ご飯を食べていた。家族みんなの顔を見ながら、その日あった出来事を話したいからという理由で、父が決めたことでした。毎年、夏休みや長期休暇には、ディズニーランドやキャンプに出かけたのを今でもよく思い出します」。
友人に誘われて近所のスケート教室に通い始めたのは、8歳の時。すぐに才能を見出されて9歳から本格的にスケートに取り組むように。しかし、ほぼ時を同じくして父親が他界。この二つの出来事が安藤さんのその後の人生を大きく決定付けたといいます。
「それまで当たり前だと思っていたことが、当たり前でなくなってしまった。つらい時はよく空を見ました。父が上から引っ張ってくれるんじゃないかと。スケートをやっていると父が見てくれている気がしたので心強かった。だから内心、『私ってラッキーだな』と思っていました」。
もう一つ大きな影響を与えたのが、19歳で渡った米国での生活。当初は言葉の壁を感じ、慣れるまで苦労したそう。それでも「私は思い立ったらなんでもやる、後悔したくないから」。日本よりも自分の意見をはっきり主張しなければ注目や評価をしてもらえない環境で、「自分の道は自分で切り開く」と心に決めたといいます。今では「日本よりも海外の方が落ち着くくらい」と言うほどリラックスした様子。合同記者会見では英語で堂々とした受け答えを見せていました。
イベントには、2月に開催された平昌(ピョンチャン)五輪に出場したマレーシア男子フィギアスケートのジュリアン・イー選手も参加。それぞれ模範演技を披露した後、こどもたちにスケート指導を行いました。
イー選手の活躍もあってスケートが注目されるようになってきたマレーシアについて、安藤さんは「これからどんな選手が出てくるか楽しみ。スケートの美しさをもっと伝えていきたい」と語ってくれました。

2018/05/31 | カテゴリー:この人のセニョ~ム

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