2019年3月-この人のセニョ〜ム 福里博克 さん

福里博克 さん
マレーシアは第二の故郷。今は家族みんなで「お家カフェ」をやっています。

お家カフェ「日暮里」シェフ。1963年12月2日、沖縄県宮古島生まれ。O型。18歳で上京し調理師の世界に。1986年来馬。KLの和食レストラン「宗方」で5年間働いた後、客船含めマレーシア国内外6ヵ所、計8つの和食レストランを渡り歩く。2017年KLに戻り、長男が立ち上げた「日暮里」でシェフを務める。

「来た当時はちょうどシャングリラホテルがオープンした頃で、5ツ星ホテルといえばジャラン・サルタン・イスマイルにあったヒルトンホテルにエクアトリアルホテル、あと今は名前が変わりましたがパンパシフィックホテル…。これくらいでしたね」と福里さん。
福里さんが言う当時とは1986年のこと。半島の南北を走る高速道路もなければ、国産車・プロトンも誕生していない、ペトロナスツインタワーもない、LRTもない、ショッピングモールも数えるほどしかない、そんな時代だった。その時代に福里さんは、KL中心街にあった日本食レストラン「宗方」に迎えられ、和食職人として来馬。福里さん、若干23歳のときだ。
「日本食レストランも数えるほどしかなくて、なだ万、勘八、大黒、鴨川、竹葉亭くらいだったかなあ。宗方は寿司あり、炉端あり、焼肉あり、クラブありで、たくさんの日本人のお客さんに利用していただきましたよ」。
福里さんは働き始めて3年後に、店のキャッシャーとして働いていた中華系マレーシア人の女性と結婚し、翌年長男が誕生。そこから福里さんの和食職人としての舞台、本気の勝負が始まった。
92年から約25年間、マレーシア国内の日本食レストラン立ち上げをはじめとして、オーストラリアやベトナム、中国など国外へも声がかかれば行く。その数、6ヵ所で8レストランにもなる。
国外で働くとなると、家族とは離れ離れの生活だ。取材中福里さんは、声にこそ出して言わなかったけれど、きっと一家の大黒柱として、奥さまやお子さんが不自由なく暮らせるように支えなくては、という思いがあったに違いない。
幸いにも(?)長男のだいちさんは飲食業に興味をもち、大学ではホテル経営学を専攻した。15年にエンパイアダマンサラでマレーシア初のハニートースト専門店「原宿キューブ」をオープン、現在3店舗を経営している。一昨年福里さんがシェフとして入った、家カフェがコンセプトの「日暮里」も長男が立ち上げた店だ。
「長男は調理人の経験がないから、手順が分からない! 毎日喧嘩していますよ」と福里さん。しかしその柔和な表情からは、25年の時を経てようやく家族みんなで一緒に暮らせる日々を楽しんでいるように、感じられた。

2019/03/01 | カテゴリー:この人のセニョ~ム

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