2019年5月-「幼児の虚勢」に似た国書強調

「幼児の虚勢」に似た国書強調

 これほど見事に成功した「政治ショー」があっただろうか。指揮者は「一丸となって」が大好きな安倍晋三。彼のタクトにメディアが合奏し多くの人々が踊りまくった。これで、日本人としての「誇り」や「一体感」を”実感“できれば、こんな安上がりなナショナリズム製造装置はない。秋の「即位礼」では「令和万歳」のちょうちん行列が始まるかもしれない。
うんざりしながら、狂騒曲を聴いて思ったことを書く。第1は利便性。ふだん原稿を書く時は西暦で考え、元号に一切用はない。そうしないと日本と世界の関係が明確な像を結ばないからだ。役所の文書で元号を書かねばならない時がある。平成の場合は特に、指折りしながら頭で引き算と足し算を繰り返さないと答えがでない。利便性に欠ける。
「平成」は戦争がなくてよかったという人がいる。平成天皇もそう言っていた。日本ではそうかもしれないが、西暦にすれば別の風景が見える。1991年の湾岸戦争で、日本は1兆2000億円もの戦費を拠出し、海上自衛隊がペルシャ湾の「戦場」に掃海艇を初めて派遣した。これが「平和」と言えるのか。
「平和な時代」という表現がいかに空疎か。でも平成で括れば戦乱など見えてこない。元号が、「世界史」から日本を切り離し「内向き思考」に誘導する弊害はもっと強調していい。
それでも「平成」の特徴をあえて挙げろと言われれば、阪神大震災と東日本大震災など、地震と豪雨などの災害多発。経済・社会格差が広がり階級化が進行した。民主党政権の迷走と安倍政権誕生で鮮明になったのは、日本の存在感と発言力の後退。戦後日本史の中でも極めつけの「ネガティブな時代」だった。だからこそ、ナショナリズムが必要だったのだ。
第2は「令和」の典拠を、万葉集という「国書」からとったと誇張するナンセンス。安倍は4月1日の記者会見で、「国書」を初めて典拠としたことを強調した。しかし万葉集の序文は、中国古典詩文集に収録されている張衡の「帰田賦」に由来する。当時の日本の貴族は、漢籍の素養がなければ生きられなかった。
ある安倍支持の国粋主義者はネットで「素晴らしい元号と思う。なにより、中国の漢籍に出典を求めず、日本の万葉集から選んだ点がいい。中国政府は内心、ガックリしているに違いない」と書いた。さすが安倍信者、「中国嫌い」の安倍の本音を見抜いている。しかし漢籍の”孫引き“なら、中国への対抗心など「幼児の虚勢」だろう。
改元狂騒曲はまだまだ続く。令和に移行する5月からメディアは毎日「令和新時代」を合奏するだろう。来年にはナショナリズムを煽る大イベント「東京五輪」が控える。メディアもまた今回の狂騒の反省もなく、合唱するのだろう。もううんざり。オリンピックが終わるまでKLに避難しようかな。(敬称略)

オットット爺や

2019/05/04 | カテゴリー:オットット爺やのつぶやき

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