2011年12月−日本人による戦争犯罪の残虐さ、米国人が教わるべき道徳

X月某日

 サバ大学で季節外れの盆踊り大会があると言うので、作務衣を着込み、息子たちは半被(はっぴ)、娘たちは浴衣を着て一家で出掛けた。炭坑節は私の生まれ故郷の大牟田の歌と踊りだから得意中の得意で、皆から拍手を浴びた。日本好きな現地人が多いのは嬉しいが、サバ州にも先の戦争の傷跡は各地に残っているから、複雑な思いをしている人は多い。

 30年ぶりに読み返した森村誠一『悪魔の飽食』(光文社カッパノベルス)は、大戦前から満洲で現地人やロシア人に生体解剖、細菌感染や凍傷などの人体実験を繰り返していた731部隊、または石井部隊の実態を暴いた実録本で、残虐な事実の描写は今読んでも衝撃的で、日本人であることが恥ずかしくなるほどに、その罪業に胸が痛む。保守派が、その続編での写真誤用を楯に内容を全否定しようとしたが、事実の重さは消えない。アウシュヴィッツのユダヤ人虐殺を扱った映画「夜と霧」も久しぶりに見て、戦争の悲惨さを実感する。

X月某日 

 サバ州で初めての、日本人中年男女のロック演奏会で、CCRやサンタナなどの懐かしい歌を堪能した。これらの歌が流行った1970年前後の世界は、変革の機運に満ちていた。その頃、リビアで無血革命を起こしたカダフィ元首が遂に殺された。彼は石油産業を国有化し、以後に第三世界が欧米の石油支配を覆す先例を作るという世界史的な役割を果たした。

 反米主義者の私は彼に共感を覚えていたのだが、デモをする自国民への空爆という不正義な暴挙に出てから心が離れた。正義に関する本として昨年話題になった、マイケル・サンデル『これからの『正義』の話をしよう』(早川書房)は期待して読み始め、すぐに落胆した。彼が現代米国の政治・経済・社会を蝕む諸問題解決のために提起する正義や道徳とは、要するに日本人が自然に備えている美徳や常識を、哲学的言い回しで説明しているだけなのだ。退屈さを我慢して読破したが、彼の意見が支持されているのは、優勝劣敗、弱肉強食の米国流価値観が破綻しつつあるからだろう。彼の日本人妻の影響も大きいようだ。

X月某日

 今年から、息子に昔の映画をダウンロードさせ、主に1950〜60年代の文芸的なヨーロッパ映画を観ているが、最近初めて観た1955年のインドの白黒映画「大河のうた」は、現在の低俗ボリウッド映画と全く次元が違って、ベンガル地方の田舎の、人情と自然の詩情豊かさに心がほだされる。雨が多いベンガルの自然は、日本やサバ州とも共通点が多そうだ。

 私は元々自然に対して関心は薄かったが、28年前に農業指導員として現地に赴任してから生態学などの自然科学が面白くなった。科学雑誌「ニュートン」などの多くの本を読んだが、特に自然科学と哲学の両分野にまたがる、立花隆『マザーネイチャーズ・トーク』(新潮文庫)で知的興奮を掻き立てられた。多くの第一線の科学者との対談から、人間とサル、人間と動物、動物と植物、健常者と精神異常者、免疫学における自己と非自己、生命と非生命などの多くの境界例や宇宙の構造などに関して、自然科学が達成してきた最新の知見を知ることができた。しかし、自然科学領域の進歩は速いから、アップデートが大変だ。。

三好良一

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