2011年9月-はかなく滅びる文明、アボリジンの深い精神生活、死の直視と生々しい死生観

X月某日

なでしこジャパンの活躍には、日本人と同じ顔立ちで体格も性質も似ている、サバ州の先住民族の妻も心から喜んでいた。小柄なアジア人でも欧米人に伍することができるのだという自覚が、第二次大戦の緒戦で日本が欧米諸国に勝って見せて、結局負けはしたが、戦後の第三世界の独立を促したことと同様に、第三世界の人たちを勇気づけることだろう。

同時に、大震災からの復興途上にある日本人へも勇気を与えた。あの大震災は、現代文明の崩壊による将来の人類の大量死を予告した現象なのだと私は認識しているが、考古学や生態学の研究から、現代文明が長続きしないことを論証した、ジャレド・ダイアモンド著『文明崩壊』(草思社)によれば、過去の世界中の文明の崩壊の原因は、環境の悪化に加えて、人間の意思も大きく影響していた。つまり、文明の脆弱性を認識して、生活態度や方法を変えられなかったのだ。読者は、この文明の崩壊に対しての覚悟ができていますか?

 

×月某日

今また、日本の夏休み、私にとっては夏働きの季節がやってくる。毎年実施しているサバ州山奥での植林・ホームステイだが、今年は大震災によって日本人の多くが内向きになった心理的影響なのだろうが、大学生ツアーの方は、応募人数が不足して残念ながら中止になった。中高生ツアーは例年通りに実施が決まり、今はその準備に明け暮れている。

先般の一時帰国の際に会った、春に参加した中高生の母親が送ってくれた、マルロ・モーガン著『ミュータント・メッセージ』(角川文庫)は、ニューエイジの古典の中でも最良の本の一つだ。ある米国人女性が、オーストラリア原住民のアボリジンたちと3ヵ月間、砂漠を放浪した体験記で、旅の前に彼女の下着を含む衣類、現金、鍵、装身具などの一切が燃やされる場面は衝撃的だ。彼らと同じく布一枚で旅をしながら、4万年前からオーストラリアに住む彼らの人生に対する深い洞察や、生得的なテレパシー能力などを見聞する。彼らが現代文明を既に見放して、地球を去る決断をしたという話は、実に示唆的である。

×月某日

形式的な既成宗教を拒否する私は、死んだら戒名も墓も葬式も要らないから、今までサバ州に植えた木の肥やしにしてくれと妻に言ってあるが、カトリックの妻は土葬に固執する。キリスト教やイスラム教は、死後に審判を受ける時に肉体の存在が必要だから土葬にこだわるのだが、ヒンドゥー教では死後の肉体には価値を認めないので火葬にする。

ガンジス河中流のベナレス(ヴァラナシ)は、ヒンドゥー教徒の最期の地だが、川岸のあちこちで薪を使って行われる火葬や、生焼けのまま、あるいは焼かずにそのまま河に捨てられたり、犬に食べられたりする死体がゴロゴロ転がっている情景の写真を多数載せた藤原新也の1972年の「印度放浪」には、若かった私も大衝撃を受けた。その彼の1999年発刊の『沈思彷徨』(筑摩書店)では、痛みや匂い、湿り等の肉体的な実感、つまりリアリティのない議論の空しさを批判している。凄絶な死の直視から得た生々しい死生観を持つ彼は、最近のHPでも、大震災についての被災者の実感から離れた議論を槍玉に挙げている。

三好良一

 

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