2012年3月−壮大な人類史、本当の冒険、ヌグリスンビラン州での日本軍の虐殺行為

X月某日

 サバ州で先住民は、モンゴル系、マレー系など52民族が分布している。近年は出稼ぎで定着したインドネシア東部ティモール島近辺のヌサテンガラ諸島のメラネシア系、つまりアジア黒人も多い。以前、クランタン州奥地グア・ムサンの喫茶店で、メラネシア系に似たウェイトレスを見かけたが、つまりは西マレーシアの先住民のオラン・アスリだった。

 オラン・アスリにはオーストラリアのアボリジンやメラネシア、インド・スリランカのヴェッダ族の系統と、カンボディア・モン系統の2系統がある。遺伝学・考古学・形質人類学・気候学等の研究成果を総合したステイーヴン・オッペンハイマー著『人類の足跡10万年史』(草思社)によれば、約10万年前にアフリカを出た人類は、従来信じられていたシナイ半島ではなく、エティオピアから対岸のイエメンに渡ってユーラシアに入り、パキスタン辺りで、コーカソイド(白人種)やモンゴロイドに分かれ、約6万年前にペラック州コタ・タンパン遺跡近辺で、アジア系とオーストラリア・メラネシア系が分かれたらしい。

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 20年ほど前まで世界の僻地だったサバ州は、エコ・ツーリズムがもてはやされるようになってから観光客が増え、近代的なホテルも建ち、道路もよくなった。それでも、あえて熱帯雨林の中に入ってトレッキングする観光客も多いが、彼らは便利な装備でトレッキングを終えて設備の整ったロッジなどで休息し、冒険したような気分になって満足している。

 河口慧海著『チベット旅行記』(白水ブックス)は、1900(明治33)年に、当時鎖国で中国やインド・ネパール人以外は禁断のチベットに入り、大乗仏教の原典に近い経典を得ようと、仏教僧としての衣装と粗末な荷物だけで5000m級の山を徒歩で越え、首都ラサまでの数千kmの全行程をほとんど徒歩で渡り、ラサでほぼ2年滞在したが、日本人だと露見して命からがらインドまで逃げるという、幾多の困難を乗り越えて本当の冒険をした僧の体験談である。私は中学時代に抄本を読んで以来、ほぼ40年ぶりに再読した。当時のチベットが、実質はシナ(中国:当時は清朝)の属国だった事実も、彼の観察から理解できる。

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 私は29年前にこの国へ、途上国農民の生活・経済向上を支援する目的で来て、英語の通じない奥地農村部での生活が長く、英語は忘れてマレーシア語のみで通している。また東南アジアで経済的覇権を握る中国系への反発から、中国系との付き合いはほとんどない。

 彼らの騒々しさや図々しさにも辟易しているし、近年の中国の日本に対する横暴な態度にも腹を立てている。しかし、ヌグリスンビラン州での日本軍による中国系住民の虐殺を扱った林博史著『華僑虐殺』(すずさわ書店)を読むと、本多勝一『中国の旅』や森村誠一『悪魔の飽食』の読後感と同様、日本軍の残虐行為が同胞として恥ずかしく、中国系人に心底から罪悪感を抱かざるを得ない。著者は小林よしのりなどの保守派から自虐史観論者として非難されているのだが、事実から目を逸らし、あの戦争は大義の戦争だったなどと開き直ったりしている保守派は、いつまでも大人になりきれない日本人の典型だと思う。。

三好良一

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