2016年10月−日本でのテロの時代―総括、 北欧の憂鬱とその発散

5歳上の私の兄は、長崎大生時代に社青同(社会主義青年同盟)に入っていたが、ヘルメットとゲバ棒を母親に見つけられて説教され、泣いて運動から脱落した軟弱な闘士だった。兄の大学生時代はまさに新左翼が荒れ狂って過激化していったが、過激化の頂点に達したのが赤軍派だった。赤軍派は日航機よど号ハイジャック事件、銃砲店や銀行での強盗、警視総監を含む警察への爆弾攻撃やイスラエルのロッド空港乱射事件などを起こし、京浜安保共闘と合体して「連合赤軍」を名乗り、革命を目指して銃や爆弾によるテロ行為に走った。

 

 

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連合赤軍は追い詰められて、29人のメンバーが群馬県の山中でアジトを転々としたが、その過程で男女、大人やこどもの区別なく合計12人の同志を「総括」と呼ぶ凄惨な集団リンチで死なせ、残るメンバーの逮捕も相次いだ。このため、坂口弘や坂東国男ら5人が軽井沢の河合楽器保養施設の「あさま山荘」に、管理人の妻を人質にして立て籠もった。1972年2月19日から警視庁と長野県警の合同機動隊が山荘を取り囲み、睨み合いが始まった。佐々淳行(さっさ あつゆき)『連合赤軍「あさま山荘」事件』(文春文庫)は、警視庁から派遣されて合同機動隊を指揮した佐々が書いた連合赤軍との攻防の記録である。そのTV放映の視聴率は90%近くに達した。
人質を救出し、犯人を全員生け捕りにするという警察庁の基本方針に従って、当初は警察側は威嚇射撃に留めていたが、犯人は躊躇なく発砲して民間人が一人死亡したし、犯人の親たちがマイクを使って説得するのにも発砲してきた。事態は膠着したが、人質の体力が限界に達したと判断された事件発生から10日目の2月28日、警察は山荘に突入した。まずはクレーンの先に取り付けた直径約1メートルの鉄球で山荘の壁を壊して突破口を開き、高圧放水を浴びせながら決死隊が山荘内に飛び込み、ようやく人質を確保し、犯人5人を全員生け捕りにした。この救出の過程で、警察側に2人の殉職者を出した。
佐々が後に別の媒体に書いたところによれば、昭和天皇に事件の経過を報告したところ、犯人側に死者や負傷者が出なかったかを聞かれたという。どんな凶悪犯人といえども、同じ日本人だということで気遣ったわけで、佐々はひどく感激した。

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以前に本稿で紹介した木村昭三郎箸『ヨーロッパからの発想』にもあったが、ヨーロッパ人は男女の性差が大きく、男性は体格が大きく性格も攻撃的である。そのため、時々血を抜くこともあるという。北欧のスウェーデンやノルウェイなどのスカンディナヴィアなどのヴァイキングの子孫である北方ゲルマン人は、その典型といえよう。五木寛之の短編小説集『白夜物語』(角川文庫)はノルウェイ、スウェーデン、フィンランド3ヵ国を舞台にした小説4編が納めれていて、そのうち2編がノルウェイを舞台にしている。そのなかの「ヴァイキングの祭り」は、ノルウェイに昨年出かけたまま自殺した恋人の足跡を辿って自殺の原因を探ろうとした男性が主人公で、恋人が泊まったのと同じホテルに泊まり、彼女が親しくしていた女性を通じて恋人の行動を探った。そして露わになった事実は、冬至前後のヴァイキングの祭りで開かれる乱交パーティーで輪姦された彼女が、人生観が崩れて自殺したことだった。つまり、日本人には耐えられない重い経験だったわけだ。

三好良一

2016/10/07 | カテゴリー:コタキナバル読書日記

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