2014年10月-ツーリズムの発展

観光業に力を入れているマレーシア。過去数年は年間約2500万人の観光客が訪れ、国の一大産業となっている。しかし、政府が観光業に注力し始めたのは、そう昔からでない。今回はツーリズムがどう発展していったのかをのぞいてみる。

旅と交通手段

世界の旅行家といえば、13世紀に20年以上にわたって1万5000キロ以上を旅したマルコ・ポーロや14世紀に30年以上旅し続けたイブン・バットゥータが思いつく。飛行機のない時代に彼らは徒歩やラクダ、船で世界を旅した。彼らはマレー半島も訪れ、植民地時代以前の姿を旅行記に記している。

植民地時代になると、純粋に旅する欧州人はあまりみられない。植民地時代前後には探検家と称される人たちがいたが、彼らは旅行家ではなく、大概植民地支配のための偵察のような役割を担った。19世紀の女性旅行家イザベラ・バードは純粋に旅行でマレー半島を訪れた人といえるが*、ほかに旅行目的で同半島を訪れた人はあまりいない。

1869年にはスエズ運河の開通や蒸気船の発達、航空機の導入などで欧州とアジアはより近くなったものの、渡航費用が膨大だったため、旅ができるのは富裕層のみに限られていた。海外からマレー半島を訪れる旅行者の目的地は西海岸のペナン島やシンガポールがほとんどであった。駐在の英国人はキャメロンハイランドなどに保養に行ったものの、東海岸に足を伸ばす人は皆無であった。

マレーシア人に目を転じると、1957年の独立後も旅行は庶民に浸透しない。それどころか、特にマレー人の間では旅行はヒッピーや麻薬と結びつく悪いイメージがあり、旅行は嫌煙された。したとしてもハリラヤなどで帰郷する程度であり、政府が関知することではなかった。

マレーシア政府が観光に力を入れはじめたのは70年代に入ってからだ。それまでマレーシアはゴムやスズの輸出による外貨収入に頼っていたが、不景気でゴムの国際価格は下落し、スズも主な鉱床を掘り尽くし枯渇したことから、輸出だけにもはや依存できなくなってきた。そこで目を付けたのが観光業(ツーリズム)であった。

本格的なテコ入れ

まず、政府は初めて観光促進を目的として72年に貿易産業省管轄の観光開発公社(TDC)を設立。また、中期経済開発計画である第3次マレーシア計画(1976-1980)で初めて観光を産業として認めた。

85年になると当時のマハティール首相は観光を主要産業にすると明言。87年には観光文化芸術省が創設され、TDCはこの省に組み込まれ、本格的に観光振興に力を入れていく。88年に「魅力的なマレーシア」、90年に「マレーシア観光年」といったキャンペーンを次々と展開し、観光客数を増加させていった。92年には政府観光局が設立され、海外に支店を置いて、海外からの集客に注力した。

政府のこれらの努力の結果、海外からの観光客数は70年にはわずか年間7万6000人だったのが、98年には550万人に達し、2012年には2500万人を超えた。観光収入もこれに伴い大幅に上がったことはいうまでもない。

現在のマレーシアの観光業は製造業に次ぐ主要産業となっているが、ツーリズムがいずれ第一産業になっていくかもしれない。

*本来、参考文献などを挙げる必要がありますが、紙面の都合上、割愛しております。ご了承ください。

葉一洋

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