2014年11月-ツインタワー物語

今やマレーシアの観光名所の一つペトロナスツインタワー。下層階はショッピングモール、上層階は国営石油会社ペトロナスの本社などとなっているが、この建物があの土地にどのようにでき上がったのかはあまり知られていない。今回はツインタワーの歴史に触れる。

きっかけ

KLの高層ビルの歴史は古くはない。1957年の独立3日前に開設されたブキビンタンの9階建てのフェデラルホテル(現在は20階建)が最初の高層ビルといっていい。70年代に入ると36階建のクラウン・ムティアラ・ホテル(2013年に取り壊し)などが建てられ、徐々にKLの建物は高層化されていった。

KLCCの現在の場所は19世紀に作られた英国人の余暇向けのセランゴール競馬場であった。しかし、1980年代初めになると自動車の増加に伴い、競馬観戦に訪れる人も増え、週末は渋滞が蔓延。ちょうどその頃、富豪アナンダ・クリシュナンが商業施設建設を目的としてその土地一帯を購入した。しかし、彼はインド人であったため、町の中心にはマレー人が参加した施設を作りたいとし、ペトロナスと提携して一帯の建設を始めたのがきっかけだ。マハティール政権はこの一帯に緑豊かな公園を造設したい意向を伝え、その土地の半分を公園にした。

商業施設を作るにあたり、国際公募を実施。日本や米国からも応募はあったものの、低層階のビルが多かった。しかし、アルゼンチン出身で米国国籍の建築家シーザー・ペリーの今日でも欧米でよく見られる正方形の超高層ビルが目を引き、これに決定された。ちなみに、シーザー・ペリーは東京の米国大使館や現在のNTT東日本本社建物、鳥取県倉吉市パークスクエア、ニューヨークのワールドフィナンシャルセンターなどを作り、世界各地の超高層ビル建築家として知られる。

デザインと建設

当時のマハティール首相は設計からこれに携わった。シーザーの正方形のデザインは好まれず、同首相はイスラム建築独特の八角形のデザインを取り入れるよう要請。シーザーはイスラム建築には疎かったが、政府の意向に沿ったデザインを提出。内部のスペースを取るため、八角形の角を極力削った形にまず変更した。

超高層ビルは多くのエレベーターを設置する必要があり、内部のスペースが余計に取られる。このため、世界で初めて、2階分の単位で昇降するダブルデッキ型エレベーターを導入し、余計なスペースを除去した。

シーザーはさらに地上から170メートルとなる41階と42階部分に約58メートルのダブルデッキ型ブリッジを提案し採用された。当時世界最高峰のシカゴのシアーズ・タワー(当時442メートル)を超そうと、当時のペトロナス会長は数階造設して88階建にし、さらに約73メートルの尖塔を屋上に取り付けて451・9メートルの高さに仕立てた。

二本のタワーの一方は日本の建築会社の間組、片方を韓国のサムスン物産がそれぞれ落札し、1993年3月に建設を開始。地下を30メートルほど掘って1万3200平方メートルのコンクリートを敷き詰めて土台を完成させ、一階分を4日のペースで建設していった。翌年には概観ができ上がり、98年に竣工した。建設費用は約30億リンギで、当初の設計では耐震策がとられたが、マレーシアには地震がないという理由でこれを除き、他国より費用を抑えた。

ツインタワーは設計から建設に至るまで外国企業が携わったが、現在ではマレーシアの象徴ともいえる建物になっている。

*本来、参考文献などを挙げる必要がありますが、紙面の都合上、割愛しております。ご了承ください。

葉一洋

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