2014年12月-ブミプトラ優遇政策史 (最終回)

日本人の間でも有名なブミプトラ優遇政策。マレー人や少数民族を優遇する政策であることは知られているが、この政策が出現した背景や経緯などは一般的にあまり知られていない。最終回はこの政策の歴史を見てみたい。

背景と導入

日本語で「ブミプトラ優遇政策」とよく言われるが、日本人研究者らが政策の概念を命名した言い方でこれは正式名称ではない。優遇措置を講じた最初の政策名称は新経済政策(NEC)という。

NECが出てきた背景には、民族間の経済格差が広がっていたことが挙げられる。農業を営むマレー人と商業を中心に生活する華人の格差が主にラーマン首相時代に拡大し、下院総選挙直後の1969年5月13日に人種暴動に発展。政府は暴動の原因を経済格差にあると分析し、暴動後に発足した国家運営評議会(NOC)議長のラザク副首相がこれを立案した。

NECは主に2つの目標を掲げた。人種を超えて貧困を撲滅することとマレー人の資本所有率30%を90年までに引き上げ、雇用水準を高めて社会構造を再編することであった。ラザク副首相が首相に就任した70年からNECは本格的に策定され、71年からこの長期経済政策(90年まで)が実施された。70年当時の貧困率を見ると、総人口の約50%が貧困で、とりわけマレー人のうち約65%が貧困だった。国全体の貧困率を下げるにはまずマレー人を優先して収入を底上げする必要があった。これが優遇政策と言われる所以である。

その後の変遷

フセインとマハティールの各首相時代にはNECがそのまま継続されるが、90年にNECが終了し、91年からは20年間の国家開発政策(NDP)と名称が変わる。

90年の貧困率は総人口の16・5%に激減し、マレー人においても約24%まで引き下げられ、政府の貧困政策は成功したといえる。ただ、資本比率については同年時点で約20%にとどまった。NDPはNECをほぼ引き継ぎ、依然としてマレー人優遇の政策であった。

このNDPは2000年に終了し、マハティール政権はこの政策を引き継ぐ国家ビジョン政策(NVP)を導入。これは2010年までの経済政策で、現ナジブ政権は2011年から新経済モデル(NEM)を実施しているが、政策の本質であるマレー人を優先することには変わりはない。71年からの長期経済政策は一貫して主にマレー人を優遇する政策だったと言っていいだろう。

これらの政策に対して昨今、多くの批判がある。特に華人やインド人からは不公平であるとの声が多く、2008年下院総選挙では優遇政策の廃止を掲げた野党が躍進。その後に誕生したナジブ首相も段階的に見直した。しかし、優遇政策の廃止は憲法におけるマレー人の特別地位にも関わり、さらに強固なマレー・ナショナリムズとも直結するため、完全に廃止するのは難しいのが実情だ。

優遇政策はマレー人の援助政策で、90年代まで一定の効果はあった。しかし、何でもそうだが、長期間にわたる援助は引き際が極めて難しい。どの段階で援助を断ち切るのかは基準を設けないとならないが、この優遇政策はそれがないように見える。他の民族から見ると冷遇政策と映り、不公平感の鬱憤で国民統合全体に大きく影響している。優遇政策を今後どうするのかはマレー人自身が決めないとならない。マレー人が真に自立できるかどうかにもかかっているのだが。

*本来、参考文献などを挙げる必要がありますが、紙面の都合上、割愛しております。ご了承ください。

葉一洋

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