2014年4月-金メダル獲得への道

マレーシアはこれまでに様々な国際競技大会に参加している。1957年の独立前から英国植民地のチームとして参加し、多くのメダルを獲得してきた。今回はオリンピックを含めた国際競技大会でのメダル獲得の道のりをみることにする。

独立前の大会

独立前のマラヤ連邦下で国際競技大会に初めて出場したのは、1949年のトーマスカップ。バドミントンのダブルスで米国とデンマークを破り、いきなり優勝を果たした。

50年にニュージーランドで行われた大英帝国競技大会(コモンウェルスゲームズの前身)では重量挙げでバンタム級とフェザー級で金、軽量級で銀、ライトヘビー級で銅を獲得。この大会は帝国内の12地域のみの参加である上、重量挙げはその半数のみの地域の選手による闘いだった。

53年になると、マラヤ連邦オリンピック評議会が結成。翌年に国際オリンピック委員会から正式な承認を受け、56年には豪州メルボルンで開かれた夏季オリンピックに総勢32人が5種目に初参加。選手のほとんどが華人であったが、陸上には女性もおり、ホッケーチームにはマレー人やインド人もプレー。しかし、メダル獲得には及ばなかった。

このほか、独立前には54年のマニラでのアジア競技大会にもマラヤは出場した。

実力向上に向けて

独立に伴って政府はスポーツ関連事業に徐々に力を入れていく。クアラルンプールにあるスタジアム・ムルデカは独立前日の57年8月30日にオープンし、競技大会の実施や選手養成などに使用された。

64年には文化・青少年・スポーツ省が創設され、政府も予算をスポーツ面に割り当てていった。

59年に始まった東南アジア競技大会では毎回出場し、金から銅まで万遍なくメダルを獲得。また、これまでに5回わたり主催国となった。

独立後初めてのオリンピックの参加は60年。この時はわずか16歳の陸上選手に注目が集まった。64年の東京オリンピックでは10種目66人の選手が出場した。72年のオリンピックではサッカーチームが最終ラウンドまで行った。

80年のモスクワ・オリンピックはソビエトのアフガン侵攻に抗議し、マレーシア政府は参加をボイコット。その後は立て続けに出場するが、マレーシアにとって幸運であったのが、92年のバルセロナ・オリンピックからバドミントンが正式種目として認められたことであった。

英国植民地インド生まれ(諸説あり)のバドミントンは20世紀はじめにはマレー半島に入ってきたようで、ローカルの間で人気の競技になった。オリンピックの正式種目になったことで、インドネシアとともに世界最大の競技大会でメダル獲得への道が開いた。

そして、92年のオリンピックではバドミントン・ダブルスでついに銅メダルを獲得。初めてのメダルに国民は喜びに溢れた。96年のアトランタ・オリンピックではダブルスで銀を受賞。シングルでも銅を獲得し、バドミントンの実力を世界に知らしめた。2008年と2012年にはリー・チョンウェイが銀メダル。12年には同時にダイビングの種目でサラワク出身の女性が初めて銅を獲得した。

マレーシアの選手の実力は年々確実に向上しており、オリンピックで金メダルを獲得するのもこうしてみると時間の問題だろう。

*本来、参考文献などを挙げる必要がありますが、紙面の都合上、割愛しております。ご了承ください。

葉一洋

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