2014年6月-プトラジャヤの開発

クアラルンプール(KL)から車で約一時間で行ける行政都市プトラジャヤ。市内はまるで中東の街のような佇まいで、きれいに整っている。ご存知の通り、この街の歴史はそれほど長くはないが、改めて開発された歴史を追ってみる。

開発の発端

プトラジャヤの建設は当時のマハティール首相が力を入れた国民車プロトンと関係する。

1985年から安価で販売し始めた国民車を多くの人が購入。その結果、KLには車があふれ、さらに人口も激増し、大渋滞が発生。80年代以前には見られなかった現象で、このため、当時のエリヤス・オマールKL市長が首都機能を移転するよう進言した。しかし、KLは独立当時からの首都で、国会議事堂や国王の公邸もあることから首都移転は難しいと判断した。しかし、政府省庁も市内に散在しているうえ、市内の大渋滞を緩和するためにも何かしらの措置を取る必要があるとして、熟慮のうえ、行政府のみの移転を決断した。

同首相の自伝によると、当初移転先としてKL北東に位置するパハン州ブキ・ティンギやジャンダ・バイを検討した。しかし、土地買収に費用がかかり、KLからも遠いために断念。そこで目を付けたのが、KLや空港から近く、パーム農園などがあったセランゴール州プラン・ブサール地区だった。同州のスルタンに話をしたところ、即座に快諾され、現在の広大な場所を93年までに7億リンギで買収して新都市建設を始めた。街の名称は初代首相のトゥンク・アブドゥル・ラーマン・ハジ・プトラの名にちなんで「プトラ」(王子の意)とつけ、そこに「ジャヤ」(勝利の意)がついて現在の名称となった。

街の建設

街の建設は260億リンギ以上を投じて95年から始まった。国営石油会社ペトロナスが子会社を設立して開発を担当した。約5000ヘクタールの土地に政府職員とその家族を含む30万人が住める街を計画。道路を広くし、緑を多く配置した田園都市にするプランとなった。マハティール首相は特に欧米にあるような、街を突き抜ける一本の直線の大通りを造成することを強く願った。フランス革命記念日にパリのシャンゼリゼ通りで行われた軍事パレードを見て感銘し、これがきっかけで現在の首相官邸前からまっすぐに延びる大通り(プルダナ通り)がつくられ、独立記念日にはここでパレードが行われる。

また、湖の造成にも同首相はこだわりをもった。ワシントンやキャンベラなどの首都には河や湖といった水が近くにあることに気づき、自然豊かな街にしたい強い意向があった。その結果できたのが人工的につくり上げたプトラジャヤ湖だが、人口湖への給水の際は、首都や周辺の町への水の供給が止まる騒ぎとなった。

同首相は元来、市内を走るモノレール建設にも意欲を示し、トンネル工事に6億リンギを投じた。当初2路線26駅が建設される予定であったが、マハティール氏の後継となったアブドラ首相が大型公共事業の縮小を掲げたために2004年に頓挫となった。

99年には首相府職員300人が最初にプトラジャヤに引っ越し、その後2005年までに大半の省庁が移転した。2001年にプトラジャヤは連邦直轄区となった。このとき、連邦政府はセランゴール州のスルタンへの謝意のため、プトラ・モスク向かいの湖畔に王宮を献上した。

多くの奇抜なデザインの建物があるプトラジャヤは現在、観光名所ともなり、今後も開発が続く。*本来、参考文献などを挙げる必要がありますが、紙面の都合上、割愛しております。ご了承ください。

葉一洋

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