2014年8月-マレーシア半島について

ここ数年、「マレーシア半島」(Malaysia Peninsula)という呼称を地元英字紙などでよく見かけるようになった。「マレー半島」(Malay Peninsula)という呼称が欧米では一般的に使われているが、なぜこの名称が出てきたのだろうか。今回は若干ながら歴史的な記録を見ながら解説してみることにする。

半島の名称前史

 この半島はアジア大陸の南東端に位置して細長く南に伸び、東側はインド洋、西側は東シナ海が面している。その昔、この半島はギリシャの地理学者プトレマイオス(西暦90年〜168年)により「黄金半島」(Golden Chersonese)と命名された。これはサンスクリット語のSuvarnadvipaの翻訳とみられ、この半島は西暦100年頃にはヨーロッパなどですでに認識されていたことが分かる。以後も「黄金半島」は細々と使用され、19世紀の英国の旅行家イザベラ・バードはマレー半島の旅行記を「黄金半島」と題した。この名称は一躍有名になったが、地政学上の呼称にはなりえなかった。

マレー半島として

マレー半島の呼称は、19世紀初めには英国の新聞で使用されるようになった。この半島は単に「マラヤ」(Malaya)とも呼ばれ、欧米では地政学上の呼称として頻繁に使われ、シンガポールで発行される英字紙でも採用された。

1874年に英国が本格的な植民地経営に乗り出すと半島を指す呼称として「ブリティッシュ・マラヤ」(British Malaya)も使われていく。しかし、第二次世界大戦後にこれらは死語となった。

そもそもマレー半島という呼称は、「マレー人が住む半島」との意味で使用されてきた。この意味で現在のタイ深南部も含まれた。このため、世界の人類学や民族学などの研究に取り組む英国などにとってこの呼称は自然であった。

一方、米国のキリスト教布教団体などは「マレーシア」を現在のマレー半島に適用していた時期もあるが、「マレーシア半島」という言い方は皆無に等しい。

呼称「マレーシア」は元来、フランス人が19世紀前半に太平洋を探検した後、現在のインドネシアとフィリピン、マレー半島を含めた地域名としてMalaisieを使ったのがはじめとされる。その後、英語に転用され、その定義は紆余曲折を経て、1963年に国名としてマレーシアが採用された。(*)

マレーシア結成後も半島名はマレー半島と呼ばれた。しかし、ナジブ首相が、民族を超えた国民統合を推し進める「1マレーシア」キャンペーンを2008年に展開してからマレーシア半島と地元紙などでしばしば書かれるようになる。

この名称は国際的にはほとんど認知されておらず、マレーシアだけで使われている呼称と言ってもいい。その定義の範囲も西マレーシアの11州のみを指し、多くのマレー人が住むタイ深南部は含まれていない。ただ、マレーシア政府幹部らはあまりこの用語は使用せず、地元英字紙などがある種、積極的に使っているのはどういうことなのか。

今後、欧米でこの呼称が認知されるかは未知数だ。マレーシアの国民統合のためにマレーシア半島と名称変更するのなら、東マレーシアはどうなのだろうか。マレーシア島とでも呼んでいくのだろうか。
*詳細は第31回を参照のこと
*本来、参考文献などを挙げる必要がありますが、紙面の都合上、割愛しております。ご了承ください。

葉一洋

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