マラッカ海峡航海記(1)

生まれて初めてのボートレースに参加してきました。ランカウィからインドネシアのアチェまで、全行程2週間の豪華版(!?)船の旅。数日間苦しんだ船酔いからはじまり、アチェではいまだ未開拓のままの自然の美に息を呑み、帰途中は海上警察から足止めを食うなど、驚きの連続だった旅の思い出を記しました。

 

 

 

◆◆きっかけ 

 確か最初の一報が電話でもたらされたのは、6月の、いつものように暑い日だったと記憶しています。「9月にランカウィからインドネシアのアチェまで行くボートレースがある。クルーとして乗ってくれないか。」電話は知り合いのマレーシア人の方でした。「レースは9月15日から25日まで、KLからの往復を入れると全行程は2週間ほど。詳しくはインターネットで調べて欲しい。SabangInternationalRegatta2011で検索すると分かる。」

 なにぶんボートレースには縁がなく、ボートに乗ることでさえ初めてのことだったので、状況がまったく理解できていませんでしたが、「行くつもりですのでスケジュールを調整させてください」とだけ答えて電話を切りました。頭のなかが整理できていませんでしたが、面白いことが始まりそうだと、直感が伝えていました。早速インターネットで調べると、インドネシア政府観光局と「インドネシア セイリングフェデレーション」が主催しているようで、運営はアチェ州とバンダアチェを対岸に臨むウェー島のサバン市、「ビジット・アチェ・キャンペーン」の一環でした。

 ご存知のようにアチェ州の州都であるバンダアチェは2004年に津波により壊滅的な被害に遭いました。タイのプーケットでも大きな被害の出た、あの津波です。アチェのニュースを聞かなくなって久しいですが、復興は緩やかでまだ以前の姿を取り戻していないに違いありません。これは行かねばなるまい。決意も新たにスケジュールを確認すると、9月13日にプーケットで前夜祭を行い、その後ランカウィに移動。15、16日で参加受付をし、17日にレースがスタート。19日までに全ボートがバンダアチェを対岸に望むウェー島のサバンに到着し、その後はサバンとバンダアチェで種々のアクティビティーに参加。そして25日に現地解散。ずいぶんのんびりしたスケジュールです。

 ついでにアチェのことも調べました。スマトラ島の北端に位置し、東南アジアで最初にイスラム教化した土地で、インドネシアのなかでも特にイスラムの信仰が強いことで知られています。15世紀末にはアチェ王国として独立しており、スマトラのコショウ貿易を独占し、ずいぶん栄えたようで、またマラッカ海峡を通る船からは「マラッカ海峡の入り口」と呼ばれていました。独立気運が高くオランダ、イギリスの植民地化に抵抗し(アチェ戦争)、戦後もインドネシアからの分離独立を求めた内戦状態にありましたが、津波を機に和平協定が結ばれ、正式にインドネシアの州になることを受け入れました。なにか野武士を想像させる州です。さらにインドネシア通の友人に聞くと一時期マラッカ海峡を賑わしていた海賊の拠点でもあり、インドネシアでは公の秘密であるそうです。

◆◆旅のはじまり

 何とかスケジュールに調整をつけ、万難を排して出発に漕ぎつけました。乗り込む船は「ダック号」。全長40フィート。名前はずんぐりした漁船のような、その外見に由来しています。ディーゼルエンジンを搭載していますが帆を張ってセーリングもできます。船体の材質はスチール製でFRPと違って重いのですが防水は完璧、そして頑強。スタビライザーがついており横揺れに強い、そして何より底が平たいため、水深1.5メートルあれば航行することができます。スピードは速くはないですが、頼もしいボートです。

 我々のボートはペナンに停泊中だったので、まずはペナンからランカウィまで航行することになります。9月13日の朝に車でKLを出発し、昼過ぎにはペナンに到着。ダック号と対面し、簡単に内部について説明を受けました。今回乗船するのはキャプテン(船長)も入れて3人ですが、果たしてクルーとしてきちんと仕事できるのか急に不安になってきます。その日はボート内で早めに寝て、翌朝4時にランカウィに向けて出発です。さあ、旅の始まりです。

(つづく)

文・写真 水産放浪家
<プロフィール>大学では水産を専攻したにもかかわらず、船のことは何も知らない大たわけ。今回の船旅ですっかり船の魅力に取り付かれ、将来は自分のボートを購入するんだと実現不可能な夢に取り付かれている。

2011/11/05 | カテゴリー:【連載終了】読者体験手記

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