マラッカ海峡航海記(3)

 

 

生まれて初めてのボートレースに参加してきました。ランカウィからインドネシアのアチェまで、全行程2週間の豪華版(!?)船の旅。数日間苦しんだ船酔いからはじまり、アチェではいまだ未開拓のままの自然の美に息を呑み、帰途中は海上警察から足止めを食うなど、驚きの連続だった旅の思い出を記しました。

 

◆◆サバン市市長のスピーチに感銘

 

 

 ランカウィ到着後は、レースのエントリーと食料買出し以外はきわめてのんびりとしたものでした。買出しはウェットマーケットで。免税の島ですから、もちろんアルコールも大量に買い込みました。このとき、ダック号のもう一人の乗組員、中国系マレーシア人のおじいさんが合流。大きなお腹を突き出し、にこやかな、布袋様のような風貌です。ずいぶんグルメな布袋様で、予定外の食料もあれこれと買い足していきます。

 出発前夜、文字通り前夜祭が開かれました。主催者代表の挨拶から始まり、続いて、ゴールとなるアチェ州サバン市の市長が挨拶。「津波により多くの人命が失われ、壊滅的な被害を受け、復興の道のりはまだ途上である。今回のレースは世界の人々にアチェをもう一度思い出してもらうため、また復興半ばであるが、立ち直ったアチェを見てほしい」。スピーチ用の台を両腕で抱え込むようにして、地を這うような低い声で語られたそのスピーチは大変感動的で、最後の「This is not end but just beginning」の言葉には不覚にも涙腺が緩んでしまいました。

 会場の心からの拍手喝さいで終わったスピーチのあとは、ジャカルタから来た女性歌手による歌謡ショーの始まりです。ダンドゥットと呼ばれる歌謡曲で、アチェではなくジャカルタの音楽とのことでした。隣に座っていたエミーが急にそわそわしだし、「ダンドゥット、ダンドゥット」と興奮した声で言うと、あろうことか舞台の上に上がり、歌手の真正面に立ち、くねくねと体をくねらせて踊り始めました。歌手と2メートル弱の距離をおき、観客からはまったく歌手が見えなくなり、しかもタバコを吸いながら。あー、エミー。お前はなんて馬鹿なんだ。周囲のひんしゅくをまったく気にせず、10分近く踊り続けていました。  

 会場のテーブルを見て回ると、マレー人の若者ばかりのテーブルがありました。皆20代の若者のようで、周りの雰囲気に呑まれて、おとなしく座っています。話しかけると、マレーシア海軍の兵士で、レースに出場するのだそうです。今回出場するボート21隻(うち6隻はプーケットからの出発なので対象外)のうちマレーシア籍は3隻だけで、我がダック号と、エミーが乗り込むVirgo号。そしてもう1隻が海軍のズハール号です。私が日本人だとわかると最後は一緒に写真をとってくれないかと頼まれ、皆で写真を撮りました。

◆◆ダック号、レースのスタートに立つ!

 翌朝はレースのスタートです。和やかな雰囲気のなか、クラス別にスタートしました。4つのクラスがあり、IRC(国際レース規格にのっとったボート)、マルチハル(多胴船、カタマランなど)、クルーザーとパワーボート(エンジン付きでマストがない船)です。海上に浮いた2ヵ所のブイによって描かれた線がスタートラインで、スタートの合図と同時に、このラインを超えるため激しいポジション争いをしています。レースのルールでは左側の船が優先なので、皆ラインの左側にボートを寄せています。タックを切る(方向転換する)時、自分の左側にボートがあるとそのボートに道を譲らなければならないので、思ったコースをトレースできなくなり時間のロスが発生します。また、意図的にタックを切り、右側のボートの邪魔をすることもあるそうで、思いのほか戦略が要求されるスポーツです。潮流や風といった自然条件と、こういった戦略がボートレースの醍醐味なのでしょう。

 私たちのクラスの番がやってきました。エンジン付きのクラスなので、激しい争いはなく、「のんびり」としたスタートです。天気もよく波も穏やか。「にらむコンパス六分儀」とはほど遠く、GPSの画面を見ながらも、キャプテン、布袋様の釣行の武勇伝などを聞きながら、レースであることも忘れるくらいです。風が弱く、まさにダック(アヒル)のようなスピードで進み、ゆっくりと陽が暮れ始めました。

(つづく)

文・写真 水産放浪家
<プロフィール>大学では水産を専攻したにもかかわらず、船のことは何も知らない大たわけ。今回の船旅ですっかり船の魅力に取り付かれ、将来は自分のボートを購入するんだと実現不可能な夢に取り付かれている。

2012/03/11 | カテゴリー:【連載終了】読者体験手記

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