2011年7月-錫鉱山開発の影で―アヘン産業の盛衰

19世紀にマレー半島に大量にやってきた中国人のほとんどが錫鉱山で働いていたことは有名だ。しかし、その一方で中国人の流入によりアヘン産業がマレー半島でも盛んになったことはあまり知られていない。今回は、このアヘン産業について追ってみることにする。

東西貿易の影響

 

 アヘンはもともと地中海東部沿岸が原産地。16世紀後半からはインドのムガール帝国が専売品とし、この頃からポルトガルが中国に販売を開始し、インドと中国の貿易ルートが開通した。ただ、最初は薬剤が主な用途だった。

 英国の東インド会社がアジアでの貿易を独占し始めると、18世紀半ばまでに同社はアヘン貿易もほしいままにした。英国が同貿易に力を入れた背景には、当時の清王朝から茶や陶磁器などが大量に輸入されたが、英国から清に輸出するものは限られていたため輸入超過が発生。資本貯蓄のため、銀流出の抑制政策の一環としてインドからアヘンを清に流すことで超過分を相殺することとした。

 これら貿易の影響はマレー半島にも現れた。17世紀にオランダがアヘンを持ち込み、当時の記録ではすでにマレー人の間でタバコにアヘンを混ぜて吸っている姿が描かれている。18世紀にはセランゴールやペラ、東海岸側でもアヘン中毒者が見受けられたと報告されている。

アヘン産業の勃興と蔓延

 英国がマレー半島を植民地化した19世紀に入ると、アヘンも蔓延し始めた。

 1819年にシンガポールが自由港として建設されると、ペナンとともにインドから中国への中継地点として変貌していった。輸入されたアヘンは港周辺だけでなく、マレー半島内陸にまで徐々に広がっていった。

 マレー半島には当時、胡椒やガンビールを栽培する中国人が渡来し、1840年代以降には錫鉱山の人足として年間数万人以上がやって来た。農作業や鉱山のいずれの仕事をするにしても、町から離れた山奥で炎天下のなか毎日未開のジャングルを切り開いて農耕や採掘をした。妻子や娯楽もない環境のなかで中国人たちは、心身を癒すためにアヘンに手を出していった。また、労働環境は最悪で、すぐに病気になる労働者も多く、アヘンを吸うことで病気から身を守る薬としても利用されていた。このため、当時の中国人労働者のうち10人に8人はアヘンを常用していたと記録されている。死亡率も年間当たり1000人中200人前後に上っていた。

 アヘンの購入者は主に低賃金の中国人労働者であったが、常用していたためにアヘン産業は多くの利益が出た。このため、農業や鉱業への中国人投資家は、アヘン販売も同時に行い、労働者を「薬漬け」にして巨額の富を得ていた。ちなみに、アヘン販売店は銀行の役割も司っており、東南アジアで20世紀以降に銀行を開設した起業家の多くが、元アヘン業者であったのは偶然ではない。

 シンガポールを筆頭に自由港をもつ海峡植民地政府は、歳入を上げるためにこのアヘン産業に目をつけた。アヘンに対する課税やアヘン販売権制度などを取り入れ、歳入を著しく増加させ、植民地経営は円滑にいき始めた。海峡植民地ではそれぞれ総歳入のうち50%以上がアヘン関連からの収入であり、政府もアヘンがなければ経営が成り立たなかった。

利益中毒の植民地政府

 アヘンは中毒性が強く、死に至らせることがよく知られるが、19世紀の植民地政府官僚もこのことについては十分認識していた。シンガポールを「発見」したラッフルズは、歳入増加を目的としてアヘンを販売することに反対していたとされる。19世紀初めからアヘン撲滅の声はあったが、1874年に英国で「アヘン貿易廃止協会」が設立され、インド―中国間のアヘン貿易廃止運動が盛り上がった。海峡植民地政府にも圧力がかかるが、同政府はアヘン撲滅で密輸の横行や中国人の離散などを引き起こすとしてこれを拒否。実際はアヘンなしでは、経営できないことから強く反対した。

 しかし、1906年に米国がフィリピンでアヘン取引の全面禁止の決定をしたことが、躊躇する英国に態度を改めさせた。同年に英国はインド―中国間のアヘン貿易を10年以内に廃止することを目的とし、年間10%ずつ取引量を削減することで清王朝と合意。これを受けてか、ペナンやクアラルンプールでもアヘン撲滅の運動が盛り上がった。

 そして、1910年から植民地政府は、取引量削減目標を達成するためアヘンを専売品に切り替えたが、清王朝との取り決めは反故にした。しかし、不況などで1925年までにはアヘン関連からの歳入は激減。日本軍によるマレー半島占領後の1943年になってやっと英国は国際的な撲滅運動に押された形で、同国内とその植民地、保護領でのアヘン売買を全面的に禁止する措置を出し、戦後はマレー半島からアヘンの姿が消えていった。

 このように見ていくと、錫産業の発展に伴い、アヘンは植民地政府と労働者にとって生きていく上での「必需品」であった。マレー半島ではアヘンなくしては大規模な錫産業の発展はなかったと言ってもいいだろう。

葉一洋

2011/07/05 | カテゴリー:マレーシア摩訶不思議

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