オットット爺やのつぶやきの記事一覧

2012年2月-セレブと不幸

 この冬の寒さはこたえる。東京「ネズミ・ランド」に近いショッピングセンターでよくみかける「ホームレス」がいる。トレードマークは「山羊ヒゲ」と書けば貧相なイメージを想像するだろうがそうではない。細身の長身でこぎれいな装い。50歳代半ばだろう。一階ホールのイスを指定席にいつも背筋を伸ばし読書している。一度目と目が合ったことがある。透明で澄んだまなざしでみつめられると、こちらの濁った心を見透かされているような気がして目をそらした。そんなことがあってから彼のことが気になり始めた。寒空の下、いったいどこをねぐらにしているのだろう。

 遠い世界の話と思っていたら、身近にも家を追われた友人がいた。その友人から1年ぶりに連絡があり、下町の居酒屋で会った。何度も職を変えてから妻との折り合いが悪くなったと聞いていたが、結局離婚したという。夫婦仲が悪くなったころから酒量が増え、抗うつ剤の治療も受けたことも。離婚してマンションを引き払い家も失った。一泊2000円の山谷の簡易宿泊所に泊まったが、今は家賃5万円の六畳一間のアパートに住んでいる。中国語に英語と語学は堪能でも、50代後半になれば簡単に職は見つからない。

 別の知人は、DVを繰り返して警察沙汰になったあげく精神病院に3ヵ月入院した。中東やパリ特派員を務めた大手メディアを定年退職後、テレビ局で翻訳をしていたが、職場の人間関係がうまくいかず辞めた。山の手の高級住宅街にある家で酒を飲んでは妻に暴力を振るった。堪えかねた妻は家を出て身を隠したものの、いつの間にか探し当てられまたDV。警察に通報され23日間拘留された。その後、酒以外口にせず栄養失調に。自転車に乗って転倒し通りがかりの小学生に助けを求めたのに、気味悪がられ放置された。こちらも離婚、アラビア語ができる前妻はスーパーのレジ打ちで糊口をしのいでいる。

 二人とも一流大学を卒業し、社会的地位と収入・財産に恵まれた「エリート」。人当たりはよく、周囲の人間の評判もまずまずだっただけに「どうして彼が…」と話題になった。そう、みんな他人の不幸が大好き。不幸の主人公はセレブであればあるほど価値が上がる。百億円を超すカネを関連会社から借り、カジノにつぎ込んだ製紙会社の三代目会長はその代表である。歌舞伎の女形にしたいくらいの顔立ちに東大法学部卒の大金持ちとあって、みんな彼の逮捕を待ちかまえていた。

 メディアが期待する究極の「不幸セレブ」は、雅子さん以外考えられない。嫁姑争いに弟夫婦との確執までからみ、週刊誌はこれでもかこれでもかとばかり、読者の欲望を駆り立てる。「適応障害」とされる病気は、離婚か皇室離脱すれば直るに違いない。一人娘も明るく元気になるだろう。離婚は不幸ではなく治療である。残される夫はともかく…。(了)

オットット爺や

2012年02月08日
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2012年1月-珍味と珍訳

 また正月だ。さしてうまくもないおせち料理は元日に箸を付けるだけで十分。小さな子供がいれば、カレーやハンバーガーの方が喜ばれよう。大人だって中華や洋食など、ちょっとこってりした料理が食べたくなる。おせちを除けば、中華を含めてKLのほうが東京よりずっと安くてうまいはずだ。

 その中華料理にすこし異変が起きている。アワビ・フカヒレ・ナマコなどの珍味が、品薄から値段が急騰し、東京の高級中華料理店のコックを泣かせているというのだ。原因は、東日本大震災。岩手を中心に宮城、青森などの産地が大打撃を受け、香港の海産問屋では、アワビ一個になんと20万円の卸値が付いたという。

 「ナマコ好きですか」と聞かれ「オー大好物だ!」と答える日本人はそういないと思う。普段よく食べるわけではないし、中華のコースの一品としてたまにお目にかかる程度。淡泊な味だが、説明するのは難しい。ナマコ自体の味というより、こってりと煮込んだ濃厚なスープの味が舌の記憶に残っている。「ナマコのような奴だ」などと、否定的な意味で使われることも多い。黒くてぐにゃりとした形状のせいだろうが、ナマコ君には責任はない。

 話は台湾のテレビに移る。1960年代に日本でヒットした映画「愛と死を見つめて」(64年、日活)の紹介番組を看ていたときのことだ。骨肉腫で死の床に就く「ミコ」役の吉永小百合が、恋人「マコ」役の浜田光夫に向かって、半分すねながら「嫌いなマコ」と、甘えるシーンがアップになった。

 画面下には中国語の字幕が流れる。台湾のTVのいいところだ。「嫌いなマコ」という台詞にかぶせた字幕を見ると「我不喜歓海参」という中国語が流れている。ナマコの漢字は日本では「海鼠」だが、中国では「海参」。だから直訳すれば、「私ナマコなんて嫌いよ」。

 オーット、厳粛な死を前にして、恋人同士がどうして「ナマコ」なんかを話題にするんだ?ちょっと考えて、この不思議な翻訳の謎解きをしてみた。推測するに、翻訳者は浜田演じる恋人のあだ名が「マコ」であることを知らなかった。だから「嫌いなマコ」と言ったのを「嫌いナマコ」と取り違えたのではないか。さらに翻訳者は、多くの日本人がナマコ嫌いなことを知っていたに違いない。だからこのミスに全く疑問を持たなかったのではないか。珍味をめぐる珍訳だが、何となくほほ笑ましく、罪のない誤訳という感じがする。久しぶりにナマコが食べたくなってきた。でもビックリするような値段だと「我不喜歓海参」とすねてみたくなる。(了)

オットット爺や

2012年01月05日
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2011年12月-異性幻想

 幻想という薄い皮が一枚一枚はがれていく。年を重ねるとはそういうことだと思う。例えば異性幻想がはがれると、異性への関心が急速に失われていく。恋に落ちれば周囲はまったく見えなくなり、恋人の痘痕(あばた)が「靨」(えくぼ)に見える。これを幻想と呼ぶのだが、幻想がなければ恋愛は成り立たない。だがそれは長続きしない。どんな美人、イケメンでも必ずオナラはするし、毎日顔を合わせればやがて飽きてくる。外見はやさしそうで知性を感じても、内実を伴わないケースは多い。

 大学の教員仲間と居酒屋で一杯やっているうちに、好きな俳優の話になった。「サユリストっていうけど、どうして男は幾つになっても吉永小百合が好きなんだろう?」と女性陣に水を向けた。「そりゃあ簡単ですよ。男はねえ、幾つになっても女に母親像を求めるんだよ。まあほんとの母親じゃなくて美化された母親像だけどサ」。元TV局アナだった60歳代の教員の答。簡単に言えば、多くの男は「マザコン」ということ。反論は控えた。

 じゃあ好きな男優は?「私は死んだ原田芳雄が好きだった」と「アラフォー」が打ち明けた。哲学が専門だ。顔が赤いのは、酒が回ったせいだけではなさそうだ。原田はいいけど少し過剰な演技が鼻についたと混ぜっ返すと、アラフォーは「ちょっと知的で不良ぽいのがいいんですよね。理想のオトコですか?顔は田宮二郎で、声は成田三樹夫かな」。

 うーんシブすぎんのよ。「白い巨塔」で、医学部教授役を演じた田宮は知っていても、成田を知っている人は少ないだろう。「仁義なき戦い」をはじめ、ヤクザ映画に欠かせない悪役。まるで剃りを入れたような広い額が個性的だった。「ニヒルで鋭い眼光とドスの利いた声を活かした鬼気迫る演技」と「wikipedia」は書く。アラフォーはその夜、調子に乗って成田を「ミッキー」と、自分で付けた愛称で呼び続けた。

 おっとフロアーに座り込んで、熱心に本を読む女の子の姿が目に入った。大学の図書館じゃないよ。台北の大型書店の歴史書のコーナーでのショット。華人社会の書店では、本を買わずに、階段や床に座り込んで「お勉強」するのは許される。KLの書店でも同じでしょ?なかなか美形のこの娘、ハイヒールを脱ぎ捨て脇に置き、すらっと長い脚を惜しげもなくさらしている。うーん絵になる。感心な娘、何の本を読んでいるのか、後ろからそっとのぞき込んで、のけぞった。彼女が熱中していたのは本ではなく、ゲームだったからである。女性幻想がまた一枚はがれる思いがした。(了)

オットット爺や

2011年12月05日
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2011年11月-百歳の双子

 「ザ・ピーナッツ」と聞いて「ああ、あの双子の歌手ね」とピンとくれば、それはオジ・オバの立派な証明である。この姉妹が映画「モスラ」で、南の島(インドネシア)の節回しで主題歌をうたったころ、双子の不思議にはまったことがあった。そっくりなのは、顔の造りやしぐさだけじゃない。遠く離れていても、もうひとりが「何を考えているのか分かる」と聞けば、テレパシーの存在を信じたい気になった。双子なら、学校が嫌なときはもうひとりの自分に行かせて、試験も成績のいいほうに受けさせりゃ楽勝だ、なんてマンガのような空想も楽しんだ。双子を「分身」と勘違いしただけのことだが…

映画「モスラ」のザ・ピーナッツ

 双子は生身の人間だけではない。双子だったのに仲違いし争いを続けた政党がある。中国共産党と台湾の国民党だ。お互い「何を考えているか分かる」から、近親憎悪に近いものがある。ことしは清朝が倒れた「辛亥革命」(1911年10月10日)から百年。革命の主役は有名な孫文と彼が率いた国民党だった。「革命」といえば天地一変のイメージを抱くかもしれないがそうではない。清朝は倒れたが、中華民国の実権は軍閥が握る。そこで孫文は弟分の共産党と協力して軍閥を倒す国共合作(1923―27年)を開始した。これを取り仕切ったのがソ連共産党である。双子の党の父親は、レーニンだったのである。

 双子だから二つの政党は驚くほどよく似ている。党規約をはじめ、中央集権的な組織、党が軍を指導する関係までソ連から派遣されたロシア人顧問が作り上げたからである。協力関係は、蒋介石が国民党のリーダーになりいったん終わったあと、日本の中国侵略で復活するが、戦後は台湾海峡を挟んで双子が「骨肉の争い」を演じたのはご承知の通りだ。

 ソ連時代、小雪が散り始めたころモスクワ中心部にある「中央革命博物館」(現在・現代史博物館)を訪れ、オットットしたことがある。博物館は文字通りロシア革命の成果を誇る展示館。だが「アジア」の展示コーナーに足を踏み入れのけぞった。まず正面に明治天皇の有名な肖像画。その下にあるのは日露戦争で負傷したロシアの将軍を見舞う乃木希典将軍の古い写真じゃないか。日本は帝政ロシアを破りロシア革命成功に「貢献」したという評価がにじんでいる。イデオロギーからしか国際関係を見ようとしない自分の固い頭にとって、目からウロコだった。

 もう一つは中国革命のコーナー。孫文とロシア人が丸テーブルをはさみ談笑する小さな塑像があったが、毛沢東の写真などどこにもない。ソ連が国民党と共産党という「双子」のうち、「正妻」である孫文の国民党を嫡子とみなしていたのは明らかだった。人気のない薄暗い博物館を進むと、各国のリーダーから贈られたプレゼントが展示されている。そこだけがカラフルなガラスケースが目に入った。あでやかな着物姿の日本人形。「土井たか子寄贈」と書かれていた。(了)

オットット爺や

2011年11月05日
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2011年10月-傲慢な「天の声」

 香港に住んでいたころ、入居して間もない自宅の内装を見て思わずため息がでた。バスタブの防水パテがポロポロとはがれ落ち、壁紙も端がめくれている。香港チャイニーズの粗雑な施工をみるにつけ、いつも日本人の几帳面な仕事ぶりと比較する自分がいた。KLでも同じ体験をしたことがあろう。その後ヨーロッパや他のアジア地域に住んでみて、これは中国人が粗雑なのではなく、日本人の几帳面さこそ特殊なのだという結論に達した。

 几帳面は悪いことではない。日本の新幹線ではそれがいかんなく発揮され、営業開始以来40年あまり死亡事故を起こしていない。その新幹線の中国バージョンの高速鉄道が、浙江省温州で衝突事故を起こし40人が死亡した。ニュースを聞いて「やっぱりなあ」と思った人は多いのではないか。私もそのひとりだ。意識の底には、香港の自宅で感じた「粗雑な仕事」という固定観念がある。日本が半世紀かけて整備した高速鉄道網を、わずか4年で日本の4倍の1万キロまで伸ばしたこと。さまざまな技術の寄せ集めが招いた「つけ」。大国化を急ぎ安全性を無視した代償など、多くの背景と問題点が指摘されてきた。われわれも利用する高速鉄道だから、原因と背景は厳しく追及しなければならない。「安全」に国境はない。

 事故の発生が「日欧の高速鉄道の技術を盗んでおきながら特許申請した」と批判した矢先だっただけに「ザマあみろ」といわんばかりの「品のない」報道が目立った。中国当局が事故車両をすぐ土に埋めたのは論外としても、「責任逃れ」「証拠(データ)隠し」「汚職」などの批判は、そのままわれわれに跳ね返る。福島原発事故での当局の対応と処理に当てはまる形容詞だ。中国のずさんな安全対策を引き合いに「日本では起こり得なかった事故」という自賛もいただけない。脱線電車がマンションに激突し、107人もの犠牲者を出したJR福知山線事故を忘れたのか。この事故も現場に自動停止装置がなかったのが原因だった。

 繰り返すが、「安全」に国境線を引いてはならない。ある全国紙のコラム(7月26日付朝刊)は、中国事故をめぐり「安全」に国境線を引いて論じた格好の文章なので、この際俎上に乗せる。文章は、汚職や強権体制の下で中国で生命が粗末に扱われていることを嘆いた上で「日本に生まれた幸運を思う」と書いた。ここには40人の犠牲者への配慮はみじんもない。「日本に生まれた幸運」というなら、福島とその周辺で今も放射線被害を受け続ける人たちはなんと言えばいいのか。某全国紙の「声」というなら分かるが、「天の声」と称するのは、あまりにも傲慢である。(了)

 オットット爺や

2011年10月05日
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2011年9月-大声出すな、靴は脱げ

 震災直後の銀座のさびれようは、言葉では尽くせない。金曜の夕方なのに、ウィンドーショッピングの客は数えるほどだし、有名レストランもがらがら。銀座が売りものにする「華やかさ」は消え、高級感あふれるヨーロッパブランド店のまばゆい照明が寒かった。まるでシャッターが降りていない「シャッター街」といった趣。

 「さびれ銀座」は、震災前からの「失われた20年」と消費低迷がもたらした現象だが、そこに思いがけない救世主が現れた。中国人観光客である。銀座8丁目の高速道路のガード下に大型観光バスが横付けられると、中国人観光客がどっとはき出される。目抜き通りは中国語が幅をきかせ、北京に広東、上海と沿海部の富裕層が主人公になった。一回に落とすカネの桁が違う。観光客向けの中国語のショッピングガイドを開くと、高級ブランドのバッグやファッショングッズがずらり。値段は百万円単位だった。

日本語版「Newsweek」の特集の表紙。30 年前のわが姿がみえる

 うるさいほど賑やかだった連中の姿が突ああ然消え、銀座にまた閑古鳥が戻ってきた。「3・11」である。4月、5月の訪日旅客数は、去年と比べ6〜7割方減った。放射能汚染された地域にわざわざ行こうという物好きはどこにもいない。われわれも逆の立場ならそうだろう。その彼らが6、7月ごろからだんだん戻ってきた。そして日本政府は7月、中国の個人旅客に3年間のマルチビザ(数次査証)を発給する措置に踏み切った。これまでは年収6万元(約80万円)以上の富裕層を対象に、一回の滞在期間が15日間だったが、今後は「一定の収入」があれば申請でき、一回の滞在期間も90日間に延長された。

 ただし条件が一つある。それはビザを取得して初めての日本入国には、必ず沖縄を経由しなければならない。「観光立国戦略」と沖縄振興がセットになっていると考えていいだろう。ただ大手旅行社の関係者に聞くと「ビザ申請の時の旅行日程に沖縄と書いてあればいいんです。実際の旅程は変更可能ですから」という答えが戻ってきた。なんとなく最初から抜け穴が用意されている感じがしないでもないが、まあいいか。銀座にまた活気が戻ってくるのだから。

 オット、あの「人民日報」が、中国人観光客向けに注意喚起の記事を掲載したゾ。「列に割り込んではいけない。公共の場所で大声を出したり、携帯電話を使用してはいけない。エスカレーターは片側を空けて乗らなければならない。温泉の中で体を洗ってはいけない。靴のまま家に入りスリッパで畳に上がってはいけない」。う〜ん、思い出すなあ。「音をたててスープを飲んではならない。ステテコ姿でホテルの客室を出てはならない。ブランド店に集団で押しかけ、買い漁ってはならない」。30年前のわれわれの姿がそこにある。(了)

オットット爺や

 

2011年09月05日
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2011年8月-お笑い芸人「ハト」

 
 「うそつき!」と言ったり、言われたりした経験は誰にもあろう。親が約束を破って遊園地行きをドタキャンした時など、半分すねながら口をついて出る。大人になるにつれ感情を抑える術が身につき、冗談半分ならともかく、本気で「うそつき!」と非難すれば人間関係が壊れる。「You liar!」という英語の台詞は「宣戦布告」と同じ重みがある。

 大人だとなかなか使いにくいこの台詞を、前首相が現首相に投げつけた。「退陣を約束したから不信任案を否決してやったのに居座りかよ!」。ハトはよほど腹に据えかねたのだろう。「うそつき!」だけじゃなく「ペテン師まがい」とまでののしった。今年の「流行語大賞」の1位、2位をかっさらう勢い。この役者の「口撃」を、観客はどう受け止めたか。「やっぱ菅はうそつきだ」とうなずくか。それとも「早期退陣なんて言っていない」ととるかで大違いだ。菅を悪役に貶めることができるか、自分が「ボケのお笑い芸人」になるかの瀬戸際である。

 そのポイントは、不信任案の上程直前に開かれた民主党代議士会での菅発言である。目をしょぼつかせながら登壇した彼は「(復興などに)一定のメドがついた段階で若い人に責任を引き継ぐ」と述べた。その直後、NHKが「首相が退陣表明」とテロップを流した。相前後して共同通信も退陣を速報、「朝日」「読売」などは号外を配った。主要メディアが、発言を「早期退陣」と受け取ったことを示している。

 TVの生中継を見ていたが、退陣時期に触れず「メドがついたら」と言っただけである。「どこがニュースなの?」というのが正直な感想だった。ジャーナリストで民主党参院議員の有田芳生がブログでこの内幕を明かす。有田によれば、北澤俊美防衛相がこのミスリードの演出家だったという。北澤は代議士会の前に主要メディア記者に「退陣の腹を固めた」とリークした。有田は「菅首相が『次世代にバトンタッチしたい』と語ったと同時にNHKが速報を流す。これで『退陣』イメージが決定的にできあがった。『退陣』時期は曖昧なのに、『ただちに退陣』と国会議員にも受けとめられた」と書く。

 メディアを利用した巧みな演出。有田説を信じれば、騙されたハトは「ボケのお笑い芸人」ということになる。ただ「うそつき!」についてはハトも偉そうに言えない。普天間基地問題で最後まで「腹案がある」「最低でも県外」と言い張っていたのが誰か忘れるところだった。

 ところで石原慎太郎による「究極の後出しジャンケン」で、都知事の夢を潰された松沢成文・前神奈川県知事が吉本興業入りした。石原にコケにされた松沢。菅に騙されたハトもこの際、吉本デビューしたらどうだろう。松沢とコンビを組んでボケまくれば、売れることは間違いない。(了)

オットット爺や

 

2011年08月05日
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悩む子宮

 朝から霧雨がやまない。マイクロバスを降りると湿った外気が体を包む。丘を登ると、何本もの幟が風に舞っているのが目に入った。赤、青、緑、白とカラフルな幟が風にはためく様子は、まるで鯉幟のようだ。前置きが長くなった。ここは日本の最西端にある沖縄県の与那国島である。自転車で4時間もあれば一周できる人口約1600人の小島だ。「Dr.コトー」診療所のロケ地と言ったほうが通りはいいか。沖縄本島から約500㌔、東京からは1900㌔も離れているが、すぐ西に位置する台湾までわずか110㌔。晴れた日には台湾の高い山並みが一望できる。

 島を訪れるのは初めてである。ロシア研究で伝統のある北海道大のスラブ研究センターと日本島嶼学会などが主催する「境界地域研究与那国セミナー」に参加するためである。セミナーの合間、マイクロバスで島を一周するツアーに入り、祖納にある「浦野墓地群」で見つけたのがこの幟だ。名前通り、幟の手前の石室は墓である。沖縄、奄美地方に多い亀甲墓。亀の甲羅のような屋根の形からそう呼ばれるのだが、その中の石室に遺体が収められている。石室は母の胎内つまり子宮である。人は死ねばまた母親の胎内に戻る…

 この墓を見て、台南と金門にほとんど同じ形の亀甲墓があったのを思いだした。特に台南旧城砦が残る安平近くの墓地には、丘の頂上まで小型の亀甲墓がびっしり並び壮観だ。与那国の墓と異なるのは、台湾のそれには「子宮口」に必ず、故人の名前、出身地が書いてあるほか写真がはめ込まれている。勝手に墓地に入った。足の踏み場に困り、何度か半球状の石室をまたぎ、時には踏み台代わりにした。丘の上まで登ろうとすると、薄汚い犬が二匹現れ、険しい目つきでこちらを睨み低くうなった。不届きなちん入者を「墓守」が威嚇したのだ。与那国の墓を見るにつけ、彼らの先祖が台湾や福建・広東など中国南部から来たことが分かる。マレーシアでも同様の墓が各地にあるはずだ。

 話を与那国の幟に戻す。緑色の幟には故人の名前が墨で大書されている。オット、その下に何か書いてあるぞ。「与那国防衛協会」とあり、幟を贈った団体名らしい。サンゴ礁に囲まれたこの島はいま、200人規模の自衛隊の配備をめぐり二分されている。配備理由は「中国艦船の動きを監視する」とされ、「与那国防衛協会」は誘致賛成派の中心組織。一方、反対住民で作る「与那国改革会議」は、中国や台湾の懸念を受け「島の『軍事化』につながりかねない」と反対する。米施政権下も復帰後も、島の治安はずっと二人の警察官で守られてきた。北京と台北の関係改善で台湾海峡がこれまでになく平和な時に、自衛隊配備というコマを置けば、島と台湾の交流にマイナスの影響が出るだろう。母親の子宮に戻っても、賛否に悩むとすれば不幸としか言いようがない。(了)

オットット爺や

2011年07月05日
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ジシュク

 桜が満開のころ上野に行った。巨大地震と津波被害、止まらない余震に原発事故とうっとうしさを晴らしたい気分もあり、花見の名所に足が向いたのだった。特に、どこかのえらい知事が「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」と「自粛」を押しつける発言をした後だったから、「ジシュク」を自ら破り、自粛令の効果を見たい気持ちもあった。だから正確には花見ではなく「花見ウォッチ」。もちろんその後、アメ横近くのガード下でいっぱいやるのが本当の目的なのだが。

 

 オット、いるいる。ウィークデーの夕方だというのに、公園はかなりの人出だ。人並みは桜を見上げながらゆっくりと動く。いつもと違うのは青いビニールシートが少ないこと。企業名を書いたシートの上で、新入社員がぽつんと席取りしている光景はない。木の下に陣取った4,5人の若者は、つまみに缶ビールで盛り上がろうとしているのだが、歌も踊りもなく静か。何となくこちらの視線を気にしているようにみえるのは、自粛命令の効果だろうか。あるいは単に時間が早すぎたせいかもしれない。

 「3・11」は、日本と日本人の伝統的な文化や思考方法をあぶり出した。「ジシュク」はその最たる例だが、それだけではない。第一に挙げたいのは「組織防衛」の原理。福島原発事故のように、多くの人命が危険にさらされているケースでさえ、東電や役所は生命より組織防衛を重んじた。炉心溶融を知りながら隠し、チェルノブイリ級のレベル「7」と認識していたのに、レベル「3」と発表。「パニックを避けたかった」という言い訳は通らない。過小評価してそれで収まれば、組織の責任は軽くて済むと考えたのではないか。

 第二は「集団主義」。震災当初、被災地で略奪もなく秩序が保たれているのを海外メディアは「冷静で礼儀正しい」と絶賛した。これはプラス面かもしれない。だが首相が「未曽有の国難」と危機を煽り、「国をあげて救命を」と、挙国を強調するようになると話は別だ。テレビは通常のコマーシャルを「公共広告」に差し替え、芸能人らが「頑張れニッポン」「日本の力を信じてる」と、国家を前面に押し出す。原発事故の責任の所在は曖昧になる。

 そして第三は、論理ではなく空気の支配。いま学生が一番恐れるのは何だと思う?「友達からKY(空気が読めない)と見られること」だという。無言の同調圧力が社会の支配的な力なのだ。被災地を支援するには「ジシュク」ではなく、もっと消費を活発にし、税収に貢献することが正しいはずだ。花見客には、都知事賞をあげてもいいのではないか。ここまで書くと戦前の日本が頭に浮かぶ。欧米列強の圧力という国難を挙国一致ではね返すため、政府、軍、財界とマスコミが一丸となり、民も「欲しがりません、勝つまでは」と、ジシュクで応える。ではメディアは戦争責任をとったか?原発推進の先棒を担いできたメディアは、批判の標的を東電に絞り、平気で「脱原発」を説いている。(了)

オットット爺や

2011年06月05日
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そうだ、ビールだ!

 ゆっくりとした横揺れから始まった。マグニチュード(M)9の巨大地震の時、東京・汐留にある35階建てビルの12階にいた。「震源は遠そうだな」と高をくくっていたら、突然の縦揺れに続いて激しい横揺れ。ビル全体がギシギシと前後左右にしなり、足下が「これでもか、これでもか」とばかりねじれ続く。窓側のデスクにいると、窓ガラスを突き破って外に放り出されそうな妄想も。デスクの端を両手で掴みながら、ビルがポッキリ折れやしないかという恐怖感が何度か頭をよぎった。

 「巨大ナマズ」の恐怖にかられたのはこれが初めてではない。台湾中部で12年前の9月に起きた大地震の時は、台北の自宅にいた。寝入りばなを襲われ、ベッドから飛び起きた。停電で部屋は真っ暗だったが、落下物はない。懐中電灯を照らしてまず向かったのはキッチン。9月の台北はかなり暑い。停電が続けば、冷蔵庫のビールがどんな状態になるか分かるよね。勢いよくプルトップを開け、冷えた液体を一気にノドに流し込んだ。胃壁からアルコールが血液に染み渡り、かじかんだ心臓と頭をほぐしてくれる。東京本社に地震の一報を送ったのはそれからだった。

 話は汐留に戻る。その後も余震のたびに身構え、ぎしぎしと音を立ててしなるビルの中で、船酔いに近い感じが続いた。「ゆりかもめ」の軌道を、電車から降りた乗客が歩いているのが見える。新幹線は停まったまま。地震の大きさと交通機関の運行状況からみて「帰宅は困難」と見切りをつけ、緊張をほぐす算段をした。こういうときは経験が物を言う。そうだビールだ、ビール!健康診断で一時帰国していた海外支局員らを誘いビル内のレストランで酒盛りを始めた。炊き出し態勢のレストランに食べ物はなく、若手が地下のコンビニまでつまみの買い出し。戻った彼が肩で息をついている。エレベーターが停まったため、13階まで階段を登ってきたという。メタボの奴にはちょうどいい。4時間ほどで焼酎2本が空になった。

 翌朝、動き始めた電車とバスを乗り継ぎ、ねずみシティの自宅へ「やっとこさ」たどりついた。オット、見慣れた街の様子がすこし変だぞ。歩道のマンホールがぜんぶ地上に浮き上がっている。50センチも持ち上がって巨大プリン(写真)のように見えるやつもある。東京湾の埋め立て地だから、いたる所で液状化現象が起きたのだ。13階建ての3階にある自宅は無傷だった。上階では冷蔵庫や家具が倒れぐちゃぐちゃになった家もあったというからラッキーというよりない。約2週間、水道が停まりトイレも風呂も使えなかった。超巨大地震だけに余震は頻繁にある。寝ているとまるでトーフの上にいるような心地。ほら、また来た。(了)

オットット爺や

2011年05月05日
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