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マラッカ海峡航海記(2)

生まれて初めてのボートレースに参加してきました。ランカウィからインドネシアのアチェまで、全行程2週間の豪華版(!?)船の旅。数日間苦しんだ船酔いからはじまり、アチェではいまだ未開拓のままの自然の美に息を呑み、帰途中は海上警察から足止めを食うなど、驚きの連続だった旅の思い出を記しました。

 

 ◆◆大海原で坂本龍馬を追体験

 ランカウィ島へ向けて出航の日、早朝3時起床。興奮と緊張であまり眠れなかったものの、眠気はすっかり飛んでいました。4時出発。前日にマリーナのオーナーから、マリーナからの出方(どこが深いのか、どれを目印に進めばよいのかなど)を聞いたので、それを頼りに出航しました。しかしどれが目印に該当するライトなのか、またキャプテンが聞いたこともない航海用語(?)を流暢な英語で話すので、いきなりパニックです。

 やっと広い海に出てひと安心。ダック号は時速5ノット(時速約9キロ)でゆっくり進みます。徐々に空が明るくなってきて、ついに水平線から太陽が顔を出しました。なんという神々しさ。体中にエネルギーが満ちてくるのが実感され、気分もとても大きくなってきて、あらゆる困難を越えて前に進んでいこうという気持ちにさえなってきます。静かな闘志とでもいうのでしょうか。とても不思議な気分でした。甲板に出て坂本龍馬のあの有名な台詞、「心は太平洋ぜよ」を大声で叫びたくなりました。直感的に思ったのが、彼もきっと故郷土佐の海で、この感覚を体験したのではないか。それがあの壮大な思想と、生き急いだとまでいえるエネルギッシュな活動を可能にしたのではないだろうか、と。

 つかの間の龍馬追体験に大満足していると、どんよりとした雲が見え始めました。苦痛はこの後すぐにやってきました。空模様がどんどん悪くなっていき、波が大きくなっていきます。気分が悪い。胃袋がでんぐり返ったようで、ごぼごぼと音を立て始めました。船酔いです。船に乗るのは久しぶりなのですっかり忘れていました。急にトイレに行きたくなり、「節水のため小便は海に放つ」と言われていたのですが、ボートが揺れて危ないため船底のトイレに行ったのが運の尽き。よどんだ空気と激しい揺れで一気に頂点に達してしまい、階段を駆け上がって、外気を吸おうと甲板の後ろで波しぶきと風を避けていると、我慢できなくなって横になりました。

 一度横になるともう起き上がる気力が失せてしまいました。薄目を開けて、舵輪を握るキャプテンを眺め、心のなかで「ごめんなさい」とつぶやき、静かに目を閉じました。先ほどまでの心意気はどこへ行ったのか、いやいやこれが凡人というものだと自分を慰めます。

◆◆航海仲間・エミーとの出会い

 結局ランカウィまで、ほとんど何もせずにいました。マリーナに近づくとスキッパーとマリーナとの無線交信が始まり緊張感が高まります。停泊する桟橋の場所が分からず、怒鳴り合いの交信が終わり、所定の桟橋に近づいて、一つの疑問がわきました。どうやって留めるんだろう。ボートを操縦して桟橋に着けるのは分かります。ボートにロープがあって、それを桟橋にある鉄のフックに結わえるのも映画で見たことがあります。でもどうやって、誰が? すると数人の男たちが桟橋に出てきました。彼らはボートが数メートルまで近づくと、私に向かって、ロープを投げるように言いました。そこで手すりの上からロープを投げると、ロープが張りつめたときに手すりに引っかかるというので、ロープを手繰って投げ直し。もう一方がボートに結わえられていなかったロープは、全部桟橋に落ちてしまいました。作業員の顔に明らかな侮蔑と嘲笑の表情がみてとれます。

 悔しいやら恥ずかしいやら、パニック状態でいると、一人の男が出てきて、感情を抑えたまじめな表情で的確に指示を出してきました。それが彼、エミーでした。細く引き締まった体で、マレー人も日焼けするのかと思わせるほど濃く赤茶けた肌。頭は剃っていて、濃い眉毛と大きな瞳とだんごっぱな。見るからに頑固そうです。彼はポートクランにあるロイヤル・セランゴール・ヨットクラブ(RSYC)で、メンテナンスやボートの移動を請け負うボートマンでした。今回はRSYC所属の別のボートVIRGOにクルーとして乗り込んでいます。いい奴だなとは思いましたが、このときはまだ、後々彼と仲が良くなるとは思いもしませんでした。わがキャプテンは私と二人きりでは停泊は無理と考え、携帯でエミーを呼び出していたのです。時計を見るとちょうど正午。8時間の航海でした。

(つづく)

文・写真 水産放浪家
<プロフィール>大学では水産を専攻したにもかかわらず、船のことは何も知らない大たわけ。今回の船旅ですっかり船の魅力に取り付かれ、将来は自分のボートを購入するんだと実現不可能な夢に取り付かれている。

2012年01月09日
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マラッカ海峡航海記(1)

生まれて初めてのボートレースに参加してきました。ランカウィからインドネシアのアチェまで、全行程2週間の豪華版(!?)船の旅。数日間苦しんだ船酔いからはじまり、アチェではいまだ未開拓のままの自然の美に息を呑み、帰途中は海上警察から足止めを食うなど、驚きの連続だった旅の思い出を記しました。

 

 

 

◆◆きっかけ 

 確か最初の一報が電話でもたらされたのは、6月の、いつものように暑い日だったと記憶しています。「9月にランカウィからインドネシアのアチェまで行くボートレースがある。クルーとして乗ってくれないか。」電話は知り合いのマレーシア人の方でした。「レースは9月15日から25日まで、KLからの往復を入れると全行程は2週間ほど。詳しくはインターネットで調べて欲しい。SabangInternationalRegatta2011で検索すると分かる。」

 なにぶんボートレースには縁がなく、ボートに乗ることでさえ初めてのことだったので、状況がまったく理解できていませんでしたが、「行くつもりですのでスケジュールを調整させてください」とだけ答えて電話を切りました。頭のなかが整理できていませんでしたが、面白いことが始まりそうだと、直感が伝えていました。早速インターネットで調べると、インドネシア政府観光局と「インドネシア セイリングフェデレーション」が主催しているようで、運営はアチェ州とバンダアチェを対岸に臨むウェー島のサバン市、「ビジット・アチェ・キャンペーン」の一環でした。

 ご存知のようにアチェ州の州都であるバンダアチェは2004年に津波により壊滅的な被害に遭いました。タイのプーケットでも大きな被害の出た、あの津波です。アチェのニュースを聞かなくなって久しいですが、復興は緩やかでまだ以前の姿を取り戻していないに違いありません。これは行かねばなるまい。決意も新たにスケジュールを確認すると、9月13日にプーケットで前夜祭を行い、その後ランカウィに移動。15、16日で参加受付をし、17日にレースがスタート。19日までに全ボートがバンダアチェを対岸に望むウェー島のサバンに到着し、その後はサバンとバンダアチェで種々のアクティビティーに参加。そして25日に現地解散。ずいぶんのんびりしたスケジュールです。

 ついでにアチェのことも調べました。スマトラ島の北端に位置し、東南アジアで最初にイスラム教化した土地で、インドネシアのなかでも特にイスラムの信仰が強いことで知られています。15世紀末にはアチェ王国として独立しており、スマトラのコショウ貿易を独占し、ずいぶん栄えたようで、またマラッカ海峡を通る船からは「マラッカ海峡の入り口」と呼ばれていました。独立気運が高くオランダ、イギリスの植民地化に抵抗し(アチェ戦争)、戦後もインドネシアからの分離独立を求めた内戦状態にありましたが、津波を機に和平協定が結ばれ、正式にインドネシアの州になることを受け入れました。なにか野武士を想像させる州です。さらにインドネシア通の友人に聞くと一時期マラッカ海峡を賑わしていた海賊の拠点でもあり、インドネシアでは公の秘密であるそうです。

◆◆旅のはじまり

 何とかスケジュールに調整をつけ、万難を排して出発に漕ぎつけました。乗り込む船は「ダック号」。全長40フィート。名前はずんぐりした漁船のような、その外見に由来しています。ディーゼルエンジンを搭載していますが帆を張ってセーリングもできます。船体の材質はスチール製でFRPと違って重いのですが防水は完璧、そして頑強。スタビライザーがついており横揺れに強い、そして何より底が平たいため、水深1.5メートルあれば航行することができます。スピードは速くはないですが、頼もしいボートです。

 我々のボートはペナンに停泊中だったので、まずはペナンからランカウィまで航行することになります。9月13日の朝に車でKLを出発し、昼過ぎにはペナンに到着。ダック号と対面し、簡単に内部について説明を受けました。今回乗船するのはキャプテン(船長)も入れて3人ですが、果たしてクルーとしてきちんと仕事できるのか急に不安になってきます。その日はボート内で早めに寝て、翌朝4時にランカウィに向けて出発です。さあ、旅の始まりです。

(つづく)

文・写真 水産放浪家
<プロフィール>大学では水産を専攻したにもかかわらず、船のことは何も知らない大たわけ。今回の船旅ですっかり船の魅力に取り付かれ、将来は自分のボートを購入するんだと実現不可能な夢に取り付かれている。

2011年11月05日
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