2010年10月-この人のセニョ~ム

鵜子幸久さん

1964年京都生まれ。地元の大学卒業後、リクルートに入社。同社が発行する無料タウン情報誌『ホットペッパー』の創刊にかかわり編集長を務める。16年間のサラリーマン生活に終止符を打ち、2002年に退職。翌03年にマレーシアに移住し、桜リクルート社(マレーシア)を創業。

無料クーポン誌の先駆けである『ホットペッパー』の創刊編集長の任を務め、話題の雑誌の編集者としてテレビやラジオなどに出演。「いい出会いと経験がいっぱいでき、会社からは居心地のいいポジションをいただいていたと思います」と、日本でのサラリーマン生活を振り返る鵜子幸久さん。では、なぜそんな「居心地のよさ」を投げ打ってまでマレーシアに移住したのだろうか。

「ひとつには、大正時代にカリフォルニア州サクラメントに移住した曾祖父の話をイヤというほど聞かされて育ってきた影響で、小さいころから世界に飛び出そうとの思いを心のなかに秘めていたことがあります。」

また「ひとつの街のコアエリアの情報にとことん特化するという『ホットペッパー』の編集方針を貫くなかで、いつの間にか自分の世界が直径10キロくらいの円の中に留まってしまっていたんですね。その外側は未知の世界っていう感じで。その反動で突然日本を出ようと思いました。」

雑誌が軌道に乗ってきたのを機に退社した鵜子さんは、「外の世界」を見るため、貯金をはたき、全アジアをめぐる旅に出る。訪れた国はなんと18ヵ国! 38歳の夏だった。

その旅では、アジア各地に身を置いて活躍する日本人に会いまくった。途中立ち寄ったマレーシアで在住20年以上の法務コンサルタント、諸江修さんと出会い、意気投合したことが当地に移住して起業するきっかけになった。

「何の縁も知識もなかったマレーシアに移住すると決めたときには、親や妻、子ども2人は唖然とし、友人たちからは『クレイジーだ』とさえ言われましたよ。でも、最近、日本を出てアジアで働きたい、あるいは起業したいという人がどんどん増えているのをみて、自分の選択は間違っていなかったんだと自信を深めました。」

実際にマレーシアで生活し仕事を始めてうれしかったのが、マレー人、華人、インド人だけではなく、世界各地から移住してきた人たちとの付き合いができ、「地球スケール」で友人が増えたこと。「日本にいた頃には想像できなかった体験です。僕にとっては、日本を出たのは正解でした。」

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