2011年5月-この人のセニョ~ム 田畑常敬(じょうけい)さん

  • 2011/5/5
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田畑常敬(じょうけい)さん

寿司屋「美島」店主。1955年12月、鹿児島県生まれ。高校卒業後、東京千住にある老舗寿司屋に住み込みで板前修業を積む。2000年来馬。02年3月、KL市内のジャラン・インビ沿いに「美島」を開業。08年1月、現在のスリ・ハタマスに移転。

 

 

寿司は大好物ですから… 寿司屋をやっても、まかない食は寿司ですよ。 

 田畑さんが切り盛りする寿司屋は「美しい島」と書いて「美島(みしま)」と読む。田畑さんの故郷である奄美黄島を意味する。

 「私が生まれ育った『野見山』は地図にも載ってない小さな集落で、全戸数30しかないところでしたが、自然はいっぱいでね。小さいころから素潜りで海に潜っては、モリをついて魚を捕っていましたよ。趣味ではなく食べるためにですよ。」

 大自然のなかで自然の恵みを思い切り満喫して育った小学校時代。その後中学・高校のときにはバレーボール部に所属し、エース(中学時代)とセッター(高校時代)として活躍した経緯をもつ。

 が、思春期を迎え青春真っ只中の田畑さんには、しだいに、その美しい自然がただの「田舎」としてしか映らず、高校卒業と同時に島を離れる決意をする。東京の老舗寿司屋で板前修業を積む道を選んだ。その理由について、「小っちゃいころから寿司が大好きで、『寿司屋で働けば寿司を毎日食わせてやる』と言われたから」と冗談っぽく微笑む田畑さんだが、「好きこそものの上手なれ」で、8年に渡る厳しい修行時代を乗り越え、見事、寿司職人として独り立ちを果たす。

 「板前修業は、入ってしばらくは出前持ちや洗い場、ホールの掃除が主な仕事で労働時間は15時間。ほとんど立ち仕事でした。修行に入ったその寿司屋にはカウンター席が10席しかなくて、その後ろに若い衆(修業衆)が10人立ち、接客するんですが、接客の仕方も厳しく指導されましたね。」

 修業を終えた後は、都内にある寿司屋数件で寿司職人として寿司を握り、19年後の2002年、田畑さん46歳のとき、晴れて異国の地・マレーシアで寿司屋を開業。店名は十代のころ、あれほど嫌った故郷にちなんで「美島」とした。

 店内は何の飾り気もない「純日本風」の寿司屋。朴訥とした田畑さんが握る寿司を求めて、日本人ばかりかローカルの常連客の姿も見受けられる。

 「寿司屋をしていて楽しい事ですか?毎日大変ですが、寿司は毎日食べられます(笑)。帰国されたお客さんが年賀状をくださったりして、連絡をしてくれて、また訪ねてきてくれる。うれしいですね。」

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