2012年12月-この人のセニョ〜ム 松原裕吉さん

「努力無限」。努力はずっと続くもので、終わりのあるものではない

松原裕吉さん「ボンジュールガーデン」オーナーシェフ。1968年、兵庫県西脇市生まれ。高校卒業後、法政大学通信教育部で学びながら、家業の織物工場を手伝う。20歳で上京し「銀座木村屋」、代官山「パティスリー・マディ」を経て、06年、某有名ベーカリーのシェフとして来馬。12年1月、KLに「ボンジュールガーデン」開業。「カリフォルニアレーズン・チャレンジコンテスト」で金賞受賞。著書に『ブーランジェ菓子最新スタイル』。

 今年1月、KL郊外のコタ・ダマンサラにベーカリー&カフェをオープンした松原さん。インタビュー前日に「松原さん」の下調べをしていたら、出てくる出てくる。ベーカリーのコンテストではいろんな賞を受賞しているし、本も出版。TV出演、専門学校の講師、開催するパン教室はあっという間に埋まるほどの人気振り。松原さんはスッゴイ人なんだ・・・。そう思いながら、ふと目に止まったのが、松原さんが日本のTV番組、「グッと!地球便」に出たときのページ。「・・・松原さんに届けられた父からの贈り物は『努力無限』と書かれた額入りの書だった・・・。努力無限とは、努力はずっと続くもので、終わりのあるものではない・・・」。セレブシェフと、「努力」の二文字、なんだか無性に松原さんから話を聞きたくなった。

 今に至るまで、幾度もの谷を経験してきたという松原さん。最初の谷は高3のとき。「将来は歴史の先生になりたくて大学進学を希望していましたが、円高で家業が下向きになり、断念せざるをえなかった」。大学の通信制で学びながら2年間、家業を手伝った後、上京。「パン屋が儲かるみたい」との母の勧めから、パン屋になろうと思った。1988年、銀座木村屋に入社。バブル絶頂期で、高級フレンチが流行り出したころ。ところがそこで、自分の能力のなさを思い知らされることに。「手の覚えが悪いんですよ。最初の1年は何度も辞めようと思いました」。ここで2度目の谷を経験。が、松原さんは辞めなかった。

 「6年目になけなしの100万円をはたいて、『ベーカリー・ワールドカップ』のツアーに参加しフランスへ行ったんですが、同年代の参加者(ベーカリー)の話についていけない。知識のレベルが違っていたんです。自分は井の中の蛙だと思い知りました」。3度目の谷。帰国後はパンの講習やコンテストに積極的に参加。コンテスト初参加は書類選考で落ちたが、2年目は審査員特別賞、3年目はグランプリに輝く。「自分は人よりも余計にがんばらないと、人並みにはならない」と努力の大切さを開眼。

 しかしその後、シェフとして迎えられた代官山「マディ」でも苦悩を味うことに。4度目の谷。「甘すぎた。シェフはつくればいいと思っていたが、違った」と松原さん。「体も心も疲弊し、正直、逃げようと思った」が、「お前はそれでいいのか。今、逃げていいのか」という師の言葉が心に響いた。「ここで逃げちゃ、いけない」。マディで修行した8年間で、松原さんの名前はメディアを通して広く知られることになり、来馬する足がかりにもなった。

 「努力をしたら、必ず、その努力を見ている人がいるんです。人って努力している人を助けてあげようと思いますよね。そこで他力が働く。そうすると自分が思ってもいなかったスゴイことが起きるんです」。

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