2014年10月-この人のセニョ〜ム 植村啓太さん

konohito震災を機にマレーシアに進出。カスタムメイドのゴルフレッスンはマレーシア人にも好評。

1977年5月27日生まれ。ゴルフのティーチングプロ。インドア型のゴルフスクール「k’s Island Golf Academy」を日本とマレーシアで主宰。16歳からゴルフを始めるが、怪我によりツアープロの道を断念。21歳からティーチング活動を始める。2005年に「k’s Island Golf Academy」を東京都でオープン。2012年、初めての海外支店となる「K’s Island Golf Academy Publika Malaysia」をパブリカにオープン。

 海外進出のきっかけは、東日本大震災。震災後しばらく、世の中はゴルフをする雰囲気ではなくなり、代官山や世田谷などで植村さんが主宰する都内のゴルフスクールにはぱたりと生徒が来なくなった。「拠点が日本だけでは、この先何が起こるかわからない」。海外進出を決め、拠点探しのためにアジア各地を巡った。上海、シンガポール、バンコクが有力候補だったが、「KLIAに着いて4時間ほどで、ここだ!と決めました」というほどマレーシアの印象はよかった。「英語が通じるし、便利だし、ゴルフの環境もいい」。ショッピングモール「パブリカ」内にマレーシア支店をオープンしたのは、震災から約1年半後の2012年11月のことだった。

 植村さんは、大場美智恵プロや服部道子プロなど、多くのプロゴルファーを教える売れっ子コーチだ。そんな植村さんの原点は、ビデオカメラとモニターを使ってスイングを確認して修正する分析型のレッスン。当時の日本ではまだ新しかった米国発のそのレッスンが受けられるゴルフスクールがオープしたとき、植村さんは高校生。ゴルフを始めたばかりの16歳のときだった。オープン初日だけ1回1000円で受けられるお試しレッスンに朝一番で参加。コーチに教えられたように一日練習してスイングを修正し、夕方、再度レッスンを受けた。このことでコーチに目をかけられた植村さんは、放課後、スクールでバイトをしつつ、毎日のように練習。めきめきと腕を上げていった。21歳のとき、手首に20針以上を縫う大怪我をしてプロ選手の夢はあきらめ、教える側に転向した。だが、スイングを客観的に分析し、一人ひとりの体型や筋力に合わせて修正していくカスタムメイド型の教え方は評判を呼び、今では何人ものツアープロを教えている。

 現在は、日本とマレーシアを行き来し、両方のマネジメントをこなす。約300人いるマレーシア支店の会員の半分以上が日本人だが、予想以上にマレーシア人の生徒が集まり、急きょ英語が堪能なインストラクターを雇った。「小柄なマレーシア人には、同じアジア系の日本人が生み出したメソッドが合っているようです。でも、ただ日本のやり方をマレーシアで教えるだけでなく、逆に鎖国状態の日本にはマレーシアのオープンな国民性をもち帰りたい。縮小傾向の日本のゴルフ界は国際化が必要です」と、植村さんの夢は尽きないようだ。

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