2015年6月-この人のセニョ〜ム 廣井 功一さん

Clipboarder.2015.05.26マレーシアのサッカー業界とスルタン達が絶大な信頼を寄せる芝生のスペシャリスト

1944年新潟県生まれ。芝の販売管理会社Zoysian Malaysia社長。1965年に東京ヒルトンホテルに就職し、イラン、ドイツ、インドネシア(バリハンダラゴルフ場)など海外で飲食店やゴルフ場の経営を経験。オクトビルゴルフ&カントリークラブの立ち上げと運営のためにジョホールバルへ。スキーの準指導員の資格ももっており、イランの第一回スキー大会では3位入賞。

 「トレードマークなんですよ」という白いハンチング帽に白い口ひげ、日焼けした肌にキラキラ光る目はいつも穏やかだ。マレーシアのサッカー関係者なら知らない人はいない芝のスペシャリストの廣井さんとは、現在、芝の管理を任されているブキッジャリルのナショナルスタジアムでお会いした。

 廣井さんが来馬したのは1992年のこと。ジョホールバル(JB)のゴルフ場の立ち上げと運営を委託されての来馬だった。1997年に独立してJBで立ち上げたのが芝の販売管理の会社。当初はゴルフ場の仕事が多かったが、2004年にマレーシアで開催されたAFCユース選手権のため芝を整備したことがきっかけでサッカー場の芝管理に参入した。「参考になれば」と持参してくださったのは、ASEANフットボール連盟の会長を務めるパハン州のスルタンなどから贈られた「感謝状」の束。マレーシアを代表するサッカー場を国際大会のために整備した際に贈られたものだ。それにしても、外国人の廣井さんがこれほど信頼される理由は何なのか? 「自分はなんでも分かっていると思ったら成功しない。何が分からないか見極め、知っている人に聞くと早く問題解決ができる」と廣井さんは謙遜するが、コツコツと地道に誠実に芝と向き合ってきたことが話し方からもにじみ出ている。

 ジョホール州の王室所有のポロフィールドの芝生を任されたこともあり、スルタンからは絶大な信頼を寄せられている。さらに、2013年にはジョホール州の皇太子がラーキンスタジアムを拠点とするサッカーチームJDTのオーナーとなり、芝の管理に廣井さんを指名。現在ではマレーシア1といわれるスタジアムになり、ナショナルスタジアムの仕事につながった。普通なら、こういった政府系の仕事はブミプトラ企業が受注する。だが今回、自身が整備した芝がその後のメンテナンス不足でだめになっていくのを何度も見てきた廣井さんが、下請けでなく直接契約で、3年間は継続して管理を担当することを要求。それが受け入れられたのだ。

 廣井さんのネットワークを生かして現在進められているのが、ラーキンスタジアムに「記念碑」をつくること。ラーキンといえば、1997年、日本チームが初のワールド杯出場を決めた伝説的場所で、その記念碑設置は日本サッカー協会の長年の願望でもあった。廣井さんの芝が結ぶ国際的なつながりは、まだまだ広がりそうだ。

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