2015年7月-この人のセニョ〜ム 琉生(りゅうせい ) ボボさん
- 2015/7/5
- この人のセニョ~ム
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マレーシアのサッカー業界とスルタン達が絶大な信頼を寄せる芝生のスペシャリスト
プロダーツプレイヤー。1977年1月1日、ニューヨーク生まれ。アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれる。大学では心理学を専攻したが、卒業した後、USAFアカデミー(米国空軍士官学校)に入学し、空軍パイロットに。11年間従軍したのち、ダーツプロの世界へ。2012年、FEDE国際トーナメントのチャンピオンに輝く。
KLでは今、ダーツが若者の間で大人気なんだそうな。今回KL近郊のダマンサラ・プルダナにあるダーツバー「フレンチーノ」で、過去に世界チャンピオンに輝いた日本人ダーツプロ、琉生ボボさんに遭遇。早速その場でインタビューをさせていただきました。
今年でキャリア10年目を迎えるボボさんだが、今でも日本のダーツファンの間では、知る人ぞ知る、「憧れのプレイヤー」なのだそうだ。その勝歴を聞けば、確かに「なるほど」と納得する。
デビュー間もない2005年に参戦した「ハイネケンカップ」でいきなりの準優勝。その後もMJトーナメントはじめ日本国内のメジャートーナメントで、優勝、準優勝を繰り返し、常に上位の座を独占。国際戦では2012年マドリッドで開かれたFEDE国際トーナメントで優勝。まさに憧れのプレイヤーたるゆえんだ。
こうした勝歴に加え、「元アメリカ空軍、特殊部隊のパイロットだった」という彼の前職もなかなか異色で、ファンを魅了し続ける理由なのかもしれない。「視力が命」といわれるパイロット。ボボさんが的を狙ってダートを投げるときに見せる独特な眼差しは、パイロット時代に鍛えられたクセなのだろうか。
ダーツはメンタルな競技だとボボさんは言う。「試合が終わるのに12時間から14時間。その間、過去の負け試合を思い出して、一瞬でも『負けるかもしれない』と思ったら負けてしまう」。ダーツ競技には強靭な精神力が要求されるというのだ。
ボボさんは2013年に、TV3のインタビューを受けるために初来馬。そのとき当地のダーツバー、前述のフレンチーノとスポンサー契約を結び、昨年からKLに住み始めた。
「私は笑顔が大好き。これまで世界各国を回ってきたけど、マレーシアは特に、笑顔があふれているね。笑顔に勝るものなし。笑顔があれば戦争もおきない」。昔、空軍パイロットとして戦争に関わってきたボボさんだからこそ出たこの言葉、ズシーンときました。
すでに年末まで海外遠征のスケジュールが詰まっているそうだが、「時間をみつけては、笑顔の写真をいっぱい撮りたい」と笑顔で語ってくれた。