2016年11月-この人のセニョ〜ム 加藤 雅大 さん

パフォーマーは人を笑顔にするのが仕事。

国を超えて様々な人たちの心に届く歌を歌いたい。

87interview-image1-1サンウェイ、ビクトリア大学2年生。ミュージシャン。1993年広島県福山市生まれ。小学校4年生のときに家族みんなで神石高原町へ「田舎暮らし」移住。16歳のときに初めて路上ライブにたつ。マレーシアには2012年に旅行で初来馬。2013年に再来馬し、サンウェイカレッジに入学。現在、2015年に中国系マレーシア人と組んだユニット「The Voyagers」で、KLにあるライブハウスやBarを中心に活動する。

 

透き通る高音が魅力の加藤さん。その声と並行するように「キラキラッと輝いて、さわやかで、礼儀正しくて、イケメンで…」というセニョ~ムの加藤さんへの印象は、加藤さんをご存知の方なら共感してくれるはず。
「ボク、小さい頃はゲームばっかやっているつまらないこどもだったんです。親の言うことも聞かないし。で、小4のとき突然父が『田舎暮らしをするぞ!』って、福山市から神石高原町へ引っ越ししました。もうドエライ田舎です。自家用に土地を耕して野菜づくりをしたり、川で魚釣りをしたり。カブトムシを捕まえて、売っていたこともありました。いつの間にかゲームを捨てて、『自然』と友達になっちゃいました。通学は生徒全員がスクールバス。イノシシや蜂、毒蛇に襲われたら大変だという理由らしいです。
福山の小学校ではサッカーをやっていて、『将来はサッカー選手になりたいな~』と漠然と思っていたけれど、転校先にはサッカー部がない。そこで何か一人でもできることはないかな…と考えていたら、歌があった。山で歌うとやまびこが聞こえてきたりして、気持ちがいいことに気づきました。
音楽を本格的に始めたのは高一の16歳から。高校は福山の高校に進学し、毎週末、駅前で路上ライブをしていました。あこがれはコブクロさん。路上ライブってギター一つでどこでも歌が歌える。人を笑顔にできる。実は、ボク、楽譜読めないんですけどね(笑)。はじめに本1冊とテレビ録画を使ってギターは練習したけれど、自分の曲が書けないとか、曲がひけないなどかなり挫折しました。今でも楽譜は読めないし、書けない。すべてコードだけで楽曲しています」。
音楽を始めてから今年で7年。今では、書きたい歌詞は溢れるように出てくるし、歌詞と同時にメロディも自然と出てくるという。その原点は、神石高原町で育った自然の音。動物の鳴き声だったり、風や雨の音だったり。
「マレーシアに来てまだ3年ですが、自分は変わったと思います。自分の意見が言えるようになるなど、自己表現力がつきました。昨年中華系マレーシア人のクルーズ君と『The Voyagers』というユニットを組みました。歌を通じて、マレーシアと日本の架け橋になるようなイベントをやっていきたいです。売れる曲をつくることが第一優先の日本と比べ、マレーシアでは正直な音楽活動ができると思います」。

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