2020年10月-この人のセニョ〜ム デスモンド・シャーさん

Practice makes perfect. & Never give up!

継続は力なり。諦めないことが成長への第一歩

デスモンド・シャーさん

1974年クアラルンプール(KL)生まれ。小学校時代はシンガポールの寄宿学校で、高等教育はKLのセイフォル・インターナショナルスクールにて受ける。 93年渡米、大学では起業家精神学を専攻し、97年に卒業。帰国後の一年間は外国人とコミュニケーションを図りながら、自身の見聞を広めるために、98年に開催 された『コモンウェルスゲームズ』の広報を務める。その経験を活かし、家具の企画と製造、輸出を行う会社を立ち上げる。03年、フォーカル・マーケティング社に参画、現在同社MDを務める。

1985年創業のフォーカル・マーケティング社は、マレーシアでの食材輸入卸業のパイオニアだ。現在は全体の80%が日本、20%が欧米諸国からの食材を取り扱っている。始まりは、KLのアンパン通りに佇む一軒の小さな雑貨店。マレーシア独立後、周辺に多くの大使館が建ち、外国人居住者が増えたことを機に、創業者であるデスモンドさんのお母さんは、顧客のニーズに応え、シンガポールから世界各国の食材の仕入れを始めた。80年代、当時のマハティール首相が掲げる「ルック・イースト政策」の影響から、日本企業が多数進出。日本食を扱うのはホテルだけだった時代は一変し、小売りはもちろん、飲食店や日系大型スーパーからの需要が大幅に増えたことにより、日本食材を主とした輸入卸業社フォーカルが誕生したのだ。フォーカルの原点ともいえるこの雑貨店、日々の食生活をどれほど助けられたか、在馬歴の長い日本人は、さぞ懐かしいことだろう。

刺身、丼、鉄板焼きといった料理がマレーシア人にも浸透し始めた1990年、フォーカルは鮮魚の空輸を週に2回始めると同時に、冷凍食品、野菜や果物の輸入も積極的に開始した。2000年代にはラーメンやとんかつなどの専門店が次々とオープン。11年、エアアジアの関西線就航や、インターネットの普及で、マレーシア人にとって日本の食文化はさらに身近なものとなった。

03年、デスモンドさんはフォーカルに入社。13年からは、国内日本食市場のみならず、ローカルの飲食店にも市場を拡大した。例えば、中華系の結婚式などでよく見る子豚の丸焼き。たくさんの調味料でマリネして焼き上げるのだが、照り焼きソース一本で代用する斬新なレシピを自ら考案するなど、日本の食材は和洋中どんなジャンルにも使えることをアピールし、日本食材のさらなる流通に情熱を注いでいる。

家族で行く海外旅行、初日はスーパーで買い物。食べてみたい物を買い込み、みんなで調理。胃も心も満たされた翌日からは、現地の食事を堪能し、観光を存分に楽しむという。「素直に分からないことは周りの人に聞くこと。人間って知りたいと思う人に対して、教えたいって気持ちが沸き起こるんだ。知識を共有するって本当に大切。そして、やりたいことには諦めずに挑戦すること。こうした小さな一歩の積み重ねが成長に繋がると思うんだ」。常に初心を忘れない謙虚さ、旺盛な好奇心と自由な発想に深い感銘を覚えた。

 

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