2020年11月-この人のセニョ〜ム 北嶋秀彦さん

辞めない、諦めない、熱心なアニメーターを育成

『ポケモン』の5話に1本はマレーシアで制作中

 

北嶋秀彦さん

1969年東京都葛飾区生まれ。O型。高校卒業後、アパレルメーカー「Jun」に就職、同社が開発 したデザインシステムの営業職に就く。89年、広告代理店に転職、車載音響機器メーカー「クラリオン」のテレビCMやメディア広告制作に携わる。97年、雑誌、新聞、ポスターなど広告・宣伝全般の企画制作やデザインを手掛ける「(株)ビラコチャ」を設立。06年、アニメーション製作会社「(株)オー・エル・エム」グループの傘下に入る。17年「OLM Asia SDNBHD」の代表取締役に就任。

コンピューターで服をデザインする。今では当たり前のこの技術が開発されて間もない頃、1台1千万円以上もするデザインシステムを月に5~6台をも売り上げる部署にて実績を積んだ。相手を緊張させない穏やかなトーク力、納得させる説明力をもつ北嶋さんならではだ。
22歳で広告代理店に転職、新しいアイデアを考えることが大好きな性分に合った仕事。広告作りにのめり込む5年間だった。ところが一緒に仕事をしていたデザイナーが退職。彼のセンスに惚れ込んでいた北嶋さんは「ビラコチャ」を設立し、再び彼と組むことに。しかし8ヵ月経つも仕事はこない。困り果てていたところに、こども向けTV番組『おはスタ』の番組ポスター制作の発注が舞い込んだ。納品後間もなく「コンセプトにこんなにマッチしたポスターを一体誰が?」と、アニメ『ポケモン』のプロデューサーの目に留まり、映画ポスター制作の仕事が決まった。事業は軌道に乗り、06年、OLMの傘下に入った。07年頃よりアジア進出に向けて始動。英語でコミュニケーションが取れること。日本アニメの制作に必要な、日本の生活様式やマナーに対する理解力と情報力に長けていること。初期投資に当たり、政府の援助があること。この「言語・民度・制度」3本軸に合致したのがマレーシアだった。日本で主流の2Dアニメは、簡単に言うと紙に描いた「パラパラ漫画」の応用。複数の場で作業を分担すると、何千枚もの紙の束を車や飛行機で運搬しなければならない。海外での作業は韓国か中国までが距離の限界だった。OLMはフルデジタル化で、距離を問わず海外拠点を置くことに成功した。新卒・中途採用に関わらず、入社試験に合格すると3ヵ月の研修期間を設け、日本式2Dの基礎を教え込む。マレーシア人のアニメーターは勤勉で退職率も少ないという。幼い頃から慣れ親しんだ日本アニメ。憧れの職に就き、日本の技術を習得できることが、彼らにやりがいと大きな自信を与えているのだろう。「マレーシアで間違いなかった」と北嶋さん。
とはいえ、野球アニメの制作では思わぬ苦労も。マレーシア人のほとんどが「野球とはなんぞ?」と、馴染みがない。ルールを一から教え、動画を見せるなどの集中講座を急遽開催したことも。「100%余すことなく 技術を教えて育成しています」。設立から3年、現在アニメーターは100人以上に及ぶ。北嶋さんの熱意と指導力の賜物だ。全工程マレーシア人制作のアニメが世界を魅了する日も決して遠くはない。

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