2020年3月-この人のセニョ〜ム 和佐 俊行さん

住み慣れた街は、多様な文化に恵まれたKK
ゴルフは僕の人生そのものなんです

和佐 俊行さん

1978年長崎県佐世保市生まれ。O型。生後すぐにサバ州サンダカン、7歳の時にコタキナバル(以下KK)へ移る。KK日本人学校卒業。11歳でゴルフを始めた。オーストラリアの名門ヒルズ学園に3年間、インターナショナル・パシフィック・カレッジ(現在は廃校)で4年間のゴルフ留学。02年、シンガポールPGAのプロテストに合格。06年、「Abema TV ツアー」に参戦。08年よりゴルフレッスンプロとなり、12年、サバ州国体代表コーチとして男女個人・団体において金メダルに導く。

1975年、仕事の都合でサバ州サンダカンへ渡った和佐さんのご両親。木造の空港に降り立った母は、「どえらいとこに来た」と思ったんだそう。日本食材や調味料などは全くなく、現地のものでやりくりしていた。83年、KKへ移住。林業が盛んな時代だったので日本人駐在員も多く、日本の食材や物も手に入りやすくなり、生活は以前よりもずいぶんと楽になったと後に母は語る。
KK日本人学校では、餅つき大会、遠泳大会(マムティック島からタンジュンアルまで2時間!)、運動会、*マムート鉱山や、ゴム農園の工場見学、キナバル山登頂、修学旅行のほかに近郊の島に一泊旅行など、充実していた。「とにかくよく遊んだ! みんなが仲良く、休み時間はバスケット、ドッジボール、バドミントン。クラブ活動では将棋、卓球、ゴルフとスポーツ三昧でした」。11 歳で、両親と週末はほぼゴルフ。楽しさにのめり込み、14歳でシングルプレーヤーに。高校と大学はゴルフ留学し、オーストラリアで過ごした。
90年代より林業は衰退し、日本人の数は減少したが、KKは2000年より「町」から「市」に変わり、大きな発展を遂げた。自然を生かしたリゾート、モールも増え観光業が盛んに。その頃、KKに戻り、地元のアマチュアの試合に出場、7回もの優勝を果たす。02年、PGAのプロテストに合格、マレーシアや日本のプロ試合に向けてクオリファイングトーナメントに積極的に出場した。06年、「Abema TVツアー」に参戦。07年に引退し、レッスンプロとしてキャリアをスタート、10年と12年はサバ州国体コーチに就任、好成績を收めた。
「自分でプレーするより、人に教える方が好きなんです」。相手に理解してもらうためには豊富な知識が必要。研究熱心な和佐さんの様子はユーチューブ「Borneo TW Golf」でも公開中。「ゴルフの魅力は、フィールド競技とは異なり、国や場所に寄ってコースレイアウトが違うこと。海辺、山岳地、リゾートがコースだったりと。KK近郊には素晴らしいコースが5つもあります。ゴルフを通して多くの人と出会い、生活もできる。ゴルフを選んでよかった!」。
02年、一年ほど働いていたゴルフ用品店で中華系女性に出逢い、結婚。2児の父に。「中華系小学校に通う8歳の長男に少しずつ日本語を教えているところです」と和佐さん。10年、父がKKにて他界、母は5年前より故郷の佐世保に戻って暮らしている。
※マムート鉱山は、サバ州北部に位置する銅鉱山。1975年に開山、1999年に閉山した。

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