2021年2月-この人のセニョ〜ム 須磨 剛さん

多様性を尊重しつつ日本ならではの発想を大切に

自分らしさを力に「マレーシア初」を世界へ発信

須磨 剛 さん

1976年東京都世田谷区生まれ。O型。84年、父親の駐在に伴い2年間KLに暮らす。99年、大学卒業後松下電器産業(株)に入社、2年間海外研修のためアメリカで過ごす。08年、総合コンサルティング(株)アクセンチュアに転職。14年(株)ダイドードリンコに入社し、15年「DyDo DRINCO Malaysia Sdn.Bhd.」(以下DDM社)の設立に徒事し、CEOに就任。20年10月本社のマレーシア事業撤退により株式譲渡。シンガポールの投資会社「Lingua Franca Holdings Pte. Ltd」と共に、DDM社を共同経営している。

控えめな少年であった須磨さんは、父親の駐在に伴い小学2年生の時、家族とKLの地を踏んだ。更地に土埃、強盗や誘拐が頻発する発展途上国。日本とは全く異なる日常と常識に触れることで世界を体感。KLで過ごした2年間は須磨少年を大きく変えた。帰国後、「もう昔の須磨君はいない!」と、同級生を驚かせるほど積極的で活発な性格に。「『なんて日本は狭いんだ!』思い返すと五感がそう感じたのでしょう。小柄な父が大きな外国人と英語で対等に商談する姿に、いつか自分も世界を相手に仕事がしたいとも思いました」。

初めて就いた職では、海外研修生としてデトロイトとロサンゼルスで約2年間過ごす。文化や習慣の違いを経験し、外国人と働く術を身につけた。帰国直前に起きたアメリカ同時多発テロ事件に国民が一丸となり、恐怖と深い悲しみへ立ち向かう姿に圧倒された。日本では営業職をこなすも「経営者になる」という夢を実現するため、大手コンサルティング会社に転職。14年、東南アジアを拠点とした海外進出の全権を委ねてくれた(株)ダイドードリンコに入社した。

須磨さんが「経営者」としてマレーシアを選択した理由は、①政情の安定、②英語が通じる、③ハラル認証に強いという3点だ。15年、菓子メーカー「マミー」の飲料事業部門に出資してDDM社を設立しマレーシア市場に参入するも、19年合弁を解消。日本本社主導でDDM社の事業再構築を図った。

ダイドーといえば缶コーヒーだ。しかし、マレーシアには「コピティアム文化」があり、淹れたてのコーヒーが安価にどこでも入手できるので、敢えて乳酸菌飲料「ヨービック」を主力商品に。同時に「マレーシア初」となる飲料開発にも力を注ぐ。日本人である自分が、日本人だからこそ生み出せるものを、マレーシアから世界へ広げる戦略だ。開発には一から携わり、認知度ゼロから市場を開拓。売り上げが伸び始めた頃、コロナ禍へ突入。販売が低迷し本社は撤退することとなった。社員90名のやる気と自信が功を成し軌道に乗った矢先だ。

積み上げてきた努力を無駄にしたくはない。会社の存在意義を熟慮した末、実質的な設立者である須磨さんはDDM社に残ることを決意。20年10月、株式譲渡が成立した。「今の自分を気に入っているんです。こんな風になれたのはきっと幼少期に過ごしたマレーシアのおかげ。マレーシアの雇用維持と経済発展に少しでも貢献できたらと」。飲料事業ほか、日本らしい良品を世界にアピール。再び、須磨さんの挑戦の幕が上がった。

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