2021年4月-この人のセニョ〜ム スティーブン・タンさん

波乱万丈、流浪のサラブレッド料理人
1杯10リンギの豚骨ラーメンに注ぐ熱い思い

スティーブン・タンさん

1971KL生まれ。O型。89年、グラフィックデザイン科を卒業。90年、オーストラリアへ留学、ホテルマネージメント科を卒業。現地のホテル勤務で出会った同僚の日本人女性と結婚。01年、千葉へ移住、横須賀海軍施設内で勤務しながら、友人のラーメン店を手伝う。07年、同ラーメン店に就職。09年、マレーシアに帰国し、居酒屋「和民」、12年からはOnly World Groupのセンターキッチンを任される。16年、豚骨拉麺店「千葉」をチェラスに開業。17年、コンサルタントとして香港のラーメン店の立ち上げに携わる。

父方の家系は代々料理人、6人の叔父は海外で料理人として活躍。母方は建設業を営み、自身の父はゼネコンに勤務していた。現ロット10の地は以前、市場(インビへ移転、現在プドゥにあるICC)だった。そこに祖母の経営する海鮮レストランがあり、14歳から調理の手伝いを始めたという。

90年、オーストラリアへ留学。シドニーの日航ホテルに勤めていた時に出会った同僚の日本人女性と結婚。94年、妻は帰国、日本とシドニーを行き来する生活だったが、01年、日本へ移住した。横須賀海軍施設で警備職に就くも、9.11事件後、職務異動で施設内のホテルのシェフとなった。

日本での好物はラーメン。ある日シドニー時代の同僚、中村さんにラーメン屋で遭遇した。「独立してラーメン屋を始めるんだけど手伝わないか」と中村さん。奇跡的な再会に、喜んで引き受けた。初めはバイトで、残り2年間は就職して修行を積んだ。仕事に明け暮れる毎日にもストレスを感じることはなかった。2人のこどもにも恵まれ、大黒柱として懸命に働いた。

09年、こどもに中国語を習得させるため、家族を連れてKLに戻った。日本で働いた経験もあり、居酒屋「和民」のセンターキッチンを任された。国内外でのコンサルタント業務の依頼もあり、家を空けることが多くなってしまった結果の離婚。こどもは小学校を卒業後、日本へ帰国した。こどもに会いに行くため、養育費のため、必死に働いた。KLに海鮮レストランをオープンするも火事で閉店。波乱万丈な人生だがスティーブンさんの腕を知る人からは次々と仕事の依頼が舞い込む。12年からはOnly World Group FBマネージャーを勤めた。

16年、豚骨拉麺店「千葉」をオープン。麺文化、肉骨茶が好きな中華系なら豚骨スープがウケるに違いない。しかし、マレーシアでの日本のラーメンの価格は庶民にとって高価だ。誰もが気軽に食べられるよう「10リンギ豚骨ラーメン」が誕生したのだ。口伝えに評判は広がり、たちまち行列店に。噂を聞きつけた大手香港企業からラーメン店の立ち上げを依頼されると、店は再婚した妻に任せ、再び海外を行き来する生活となったが、現在は千葉一筋。息子はアメリカ、娘は今年一月からマレーシアに留学。スティーブンさんの新しい生活は始まったばかりだ。

「ラーメン、日本の習慣、文化、たくさんのことを教わった」。そう語りながら声を詰まらせる。厨房に入り涙をぬぐう。18年に亡くなった兄貴・中村さんへの思いを胸に、今日も一日300杯(コロナ以前はそれ以上!)ものラーメンを売り上げる。

関連記事

コメントは利用できません。

アーカイブ

ページ上部へ戻る