2021年10月-この人のセニョ〜ム 坂口 琴華 さん

マレーシア初! 日本人ヤクルトレディ 仕事を通して得るもの全てがプライスレス

坂口 琴華 さん

1977年福岡県福岡市生まれ。A型。中学生の時、初めての海外旅行(インドネシア)に感動。異国に興味をもち、98年、将来住みたい国や伴侶を探す一人旅へ。バリ島再訪を皮切りに東南アジアを巡る。1年のうち3ヵ月はバックパッカー、9ヵ月間は飲食業、交通誘導員や型枠大工などのバイトで旅費を稼ぐ。01年、ティオマン島でご主人と出会う。一旦帰国後、02年結婚。父親が営む機械制御・電気工事会社に夫婦揃って就職。04年、長男誕生。05年、ご主人の家族が住むクアンタンへ移住。17年、ヤクルトレディに。

旅の途中で立ち寄ったティオマン島アイルバタン村。自然の美しさ、人の親しみやすさ、ゆったりとした時間の流れ、島の魅力にノックアウトされると同時に、ご主人と恋に落ちた。一旦帰国し家族に話すと、両親は「その人に会いたい」と、言うが早いか航空券を手配し、娘の恋人を日本へ招待。彼の人柄に惹かれ、ちょうど人員が必要な仕事もあり、とんとん拍子で結婚へ、キューピッドはまさかのお父さん。3年間の期限を定め、移住に向けて貯金に励み、いざ、マレーシアへ。移り住んだのはティオマン島ではなくクアンタン。幼い息子との島生活を懸念し、ご主人の家族もいる当地に落ち着いた。海が近くほどよい大きさに便利さ。故郷福岡市に通ずる住み心地のよい街だった。

一人息子が小学校卒業、自身の永住権取得など、12年間の専業主婦生活がひと段落したある日のこと。ヤクルトレディが琴華さん宅を訪問、ヤクルトを購入してみることに。毎週届けてもらううちに仲良くなると一緒に働かないかと誘われた。「日本の馴染みある商品を日本人の私が扱うのは向いているかも」と、考える反面、仕事をしていなかったブランクに不安もよぎる。その背中を押したのは温かく迎えてくれた先輩スタッフ達。長めに研修期間を設け、多くの励ましもあり、17年9月、マレーシア初の日本人ヤクルトレディが誕生した。

思っていたほど自分のマレー語が通じない、道が覚えられない、名前が覚えられない、顔が覚えられないと、自身の「ポンコツぶり」を振り返り、思わず吹き出す琴華さん。この仕事は無理なのか? と、幾度も思うも、地元の人は「ヘンテコな日本人が来た!」と好意的。毎週の訪問で話が弾み、距離感が縮まり、お茶やご飯をご馳走になったり、手作り菓子や庭で採れた野菜をもらったり、まるで親友のような親戚のような関係に。大好きなマレーシアがもっと好きになった。

「互いの興味を満たす関係を大切にしています。他愛ない日常の話から政治、経済、宗教、文化、芸能スキャンダルやスーパーの特売情報まで、いろんなことを教えていただき、逆に日本のことを聞かれれば丁寧にお答えします。各ご家庭にお届けしながら、異文化交流を楽しんでいます」と、琴華さん。

コロナ禍、以前のように長話はできないが、SNSなどでのやり取りで顧客との交流を欠かさない。マレー語での読み書きが上達できたのは大収穫だという。自分が楽しいと思えるやり方でやる! 常に明るく前向きで、笑顔がチャーミングな琴華さん。今日も地域の人々へヤクルトと真心を届けている。

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