悩む子宮

 朝から霧雨がやまない。マイクロバスを降りると湿った外気が体を包む。丘を登ると、何本もの幟が風に舞っているのが目に入った。赤、青、緑、白とカラフルな幟が風にはためく様子は、まるで鯉幟のようだ。前置きが長くなった。ここは日本の最西端にある沖縄県の与那国島である。自転車で4時間もあれば一周できる人口約1600人の小島だ。「Dr.コトー」診療所のロケ地と言ったほうが通りはいいか。沖縄本島から約500㌔、東京からは1900㌔も離れているが、すぐ西に位置する台湾までわずか110㌔。晴れた日には台湾の高い山並みが一望できる。

 島を訪れるのは初めてである。ロシア研究で伝統のある北海道大のスラブ研究センターと日本島嶼学会などが主催する「境界地域研究与那国セミナー」に参加するためである。セミナーの合間、マイクロバスで島を一周するツアーに入り、祖納にある「浦野墓地群」で見つけたのがこの幟だ。名前通り、幟の手前の石室は墓である。沖縄、奄美地方に多い亀甲墓。亀の甲羅のような屋根の形からそう呼ばれるのだが、その中の石室に遺体が収められている。石室は母の胎内つまり子宮である。人は死ねばまた母親の胎内に戻る…

 この墓を見て、台南と金門にほとんど同じ形の亀甲墓があったのを思いだした。特に台南旧城砦が残る安平近くの墓地には、丘の頂上まで小型の亀甲墓がびっしり並び壮観だ。与那国の墓と異なるのは、台湾のそれには「子宮口」に必ず、故人の名前、出身地が書いてあるほか写真がはめ込まれている。勝手に墓地に入った。足の踏み場に困り、何度か半球状の石室をまたぎ、時には踏み台代わりにした。丘の上まで登ろうとすると、薄汚い犬が二匹現れ、険しい目つきでこちらを睨み低くうなった。不届きなちん入者を「墓守」が威嚇したのだ。与那国の墓を見るにつけ、彼らの先祖が台湾や福建・広東など中国南部から来たことが分かる。マレーシアでも同様の墓が各地にあるはずだ。

 話を与那国の幟に戻す。緑色の幟には故人の名前が墨で大書されている。オット、その下に何か書いてあるぞ。「与那国防衛協会」とあり、幟を贈った団体名らしい。サンゴ礁に囲まれたこの島はいま、200人規模の自衛隊の配備をめぐり二分されている。配備理由は「中国艦船の動きを監視する」とされ、「与那国防衛協会」は誘致賛成派の中心組織。一方、反対住民で作る「与那国改革会議」は、中国や台湾の懸念を受け「島の『軍事化』につながりかねない」と反対する。米施政権下も復帰後も、島の治安はずっと二人の警察官で守られてきた。北京と台北の関係改善で台湾海峡がこれまでになく平和な時に、自衛隊配備というコマを置けば、島と台湾の交流にマイナスの影響が出るだろう。母親の子宮に戻っても、賛否に悩むとすれば不幸としか言いようがない。(了)

オットット爺や

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