2010年10月-豊かで自由な中世の海

 金門島に渡った。「獄門島なら知ってるけど…」という読者もいるだろう。1949年10月新中国が成立した直後、台湾に退却した国民党軍が共産党軍と死闘を繰り広げた東西20キロほどの小島である。中国福建省厦門(アモイ)から最短距離で2キロと目と鼻の距離だが、台湾領である。両者は30年前まで金門島を挟んで砲撃戦を続け、中台対立の最前線だった。中台間の貿易や交流が進み、10年前に島と厦門間のフェリーが就航、2年前からはわれわれ外国人も利用できるようになった。今回は台北から直行便で厦門、厦門からフェリーで金門に入り、金門から飛行機で台北に向かうという中台往復の旅である。

 話は今から300〜600年前に遡る。中国は明から清に移行する時代、日本は戦国時代から徳川幕府のころだ。日本から朝鮮半島、東シナ海一帯は、倭寇と密貿易の商人が自由に海を渡り往来していた。倭寇というと「日本人の海賊」というイメージだが、当時は今のような国家や国籍はない。海を渡って往来するうち次第に血は混じる。倭寇の「倭人」とは国籍や民族を超えた集団で、日本人、朝鮮人、中国人といった区別は無意味だった。

 金門島には、こうした自由で豊かな中世の海のシンボルが残っている。その一つが「風獅爺」。倭寇の拠点でもあった金門は、戦乱が止まず山林がなくなったため、冬は強い東北風にさらされた。風害で田畑は荒れ、家も壊れたことから「風神」で悪魔払いするため、石で造った「風獅爺」を至る所につくったのである。オットこの風獅爺、なかなか立派なものつけてるねえ。赤いマントを首に巻いた立ち姿はちょっとキュート。「立派なもの」がひょうたんに似ていることから、地元では生殖器を「ひょうたん」と呼ぶらしい。

 よおく見てほしいのは、こいつのカオのほうだ。どっかで見たカオだろう。沖縄の魔除け「シーサー」だ。シーサーとは琉球方言で「獅子」。風獅爺こそシーサーの先祖で、600年前金門から琉球王朝に移住した人たちがもたらした。今の福建省から琉球に渡った人たちは、那覇市久米町あたりに住んだことから、彼らを「久米36姓」と呼ぶ。「久米に住む多くの姓をもった人々」という意味だ。沖縄の仲井真知事は「久米36姓」の末裔と公言する。ちょうどこのころ台湾にも金門から多くの人々が渡った。台湾と琉球の人たちは「兄弟」である。

 我々が金科玉条のように奉る「国民国家」の歴史は、アジアではわずか150年。グローバル化が進み、国民国家の旧秩序が崩れ始めると、強力な国家再興を夢見る復古主義がかま首をもたげる。心理的な境界(国境)を引いて、自分の領域(国家)を囲い込む意識では、東アジアの経済統合に対応できない。せっかくマレーシアにいるのだから、日本という国家と社会を支えてきた「秩序と序列の精神構造」から自由になり、意識だけは中世の豊かな世界に浸ってはどうか。 (了)__

オットット爺や

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