2011年10月-傲慢な「天の声」

 香港に住んでいたころ、入居して間もない自宅の内装を見て思わずため息がでた。バスタブの防水パテがポロポロとはがれ落ち、壁紙も端がめくれている。香港チャイニーズの粗雑な施工をみるにつけ、いつも日本人の几帳面な仕事ぶりと比較する自分がいた。KLでも同じ体験をしたことがあろう。その後ヨーロッパや他のアジア地域に住んでみて、これは中国人が粗雑なのではなく、日本人の几帳面さこそ特殊なのだという結論に達した。

 几帳面は悪いことではない。日本の新幹線ではそれがいかんなく発揮され、営業開始以来40年あまり死亡事故を起こしていない。その新幹線の中国バージョンの高速鉄道が、浙江省温州で衝突事故を起こし40人が死亡した。ニュースを聞いて「やっぱりなあ」と思った人は多いのではないか。私もそのひとりだ。意識の底には、香港の自宅で感じた「粗雑な仕事」という固定観念がある。日本が半世紀かけて整備した高速鉄道網を、わずか4年で日本の4倍の1万キロまで伸ばしたこと。さまざまな技術の寄せ集めが招いた「つけ」。大国化を急ぎ安全性を無視した代償など、多くの背景と問題点が指摘されてきた。われわれも利用する高速鉄道だから、原因と背景は厳しく追及しなければならない。「安全」に国境はない。

 事故の発生が「日欧の高速鉄道の技術を盗んでおきながら特許申請した」と批判した矢先だっただけに「ザマあみろ」といわんばかりの「品のない」報道が目立った。中国当局が事故車両をすぐ土に埋めたのは論外としても、「責任逃れ」「証拠(データ)隠し」「汚職」などの批判は、そのままわれわれに跳ね返る。福島原発事故での当局の対応と処理に当てはまる形容詞だ。中国のずさんな安全対策を引き合いに「日本では起こり得なかった事故」という自賛もいただけない。脱線電車がマンションに激突し、107人もの犠牲者を出したJR福知山線事故を忘れたのか。この事故も現場に自動停止装置がなかったのが原因だった。

 繰り返すが、「安全」に国境線を引いてはならない。ある全国紙のコラム(7月26日付朝刊)は、中国事故をめぐり「安全」に国境線を引いて論じた格好の文章なので、この際俎上に乗せる。文章は、汚職や強権体制の下で中国で生命が粗末に扱われていることを嘆いた上で「日本に生まれた幸運を思う」と書いた。ここには40人の犠牲者への配慮はみじんもない。「日本に生まれた幸運」というなら、福島とその周辺で今も放射線被害を受け続ける人たちはなんと言えばいいのか。某全国紙の「声」というなら分かるが、「天の声」と称するのは、あまりにも傲慢である。(了)

 オットット爺や

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