2013年5月-魔力

ちょうど1年前の本欄に「サクラのように散りたいか」を書いた。あの前東京都知事が、米国で尖閣諸島(中国名 釣魚島)を「買い取る」とブチあげたことを批判する内容だった。それから1年、「無人の孤島」をめぐる不毛な争いは、日中関係を最悪の状態に陥れただけではない。両国の領土ナショナリズムを刺激し、日本では「領土防衛」があたかも焦眉の急であるかのようなキャンペーンが奏功した。いまや、永田町(国会と官邸)は憲法9条を含む改憲論へとなだれをうち始めた。

こんなに効率よく世論を束ねることができたのはなぜか。それが領土ナショナリズムのもつ「魔力」と考える。「魔力」とは何か? 広辞苑には「妖しい不思議な力」とある。「自分の意思では抗いがたい力」と言い換えてもいいだろう。ある霞ヶ関の官僚と話していたら、彼が「このままいけば(中国は)とってこようとするかもしれない。尖閣を差し上げれば、次は与那国や沖縄本島まで差し上げることになるが、それでもいいのかと問えば、多くの人は黙ってしまう」という論法を展開した。こう聞かれれば、確かに多くの人は「それは、ちょっと困るけど…」と反応するのではないか。

ただなぜ「困るのか」、自問する人はあまりいないと思う。「とられるかもしれない」という被害者意識が誘発され、続いて「とられてはならない」という反射的回答が瞬時に引き出される。問題の領土が「われわれ固有のものなのか」「かれらの主張に理はないのか」などと熟慮した末の結論ではなかろう。その意味では、領土問題は思考を停止させる。あの官僚は「領土は主権と並んで国家の基本構成要件だからね」と言うに違いない。

「大アントニオスへの誘惑」(ミケランジェロ・ブオナローティ)

ちょっと待ってほしい。「無人の孤島」をめぐる争いは、喫緊のテーマだろうか。日中関係の基本は何か。相互依存が深まる経済はもちろん、大気汚染や食品の安全など環境問題にエネルギー、少子高齢化に向かう社会構造の変化など、国境を越えた取り組みこそ「大局」のはずだ。日本も中国も、グローバル化する市場経済とネット空間の拡大の波に洗われている。それは古い共同体を壊し、国家や政府の役割を希薄化して政治、経済、社会のあらゆる領域で、人びとが「共有する前提」が失われていく。

一年前にも書いたが、「領土」は、空洞化する国家が可視化できる数少ない存在だ。そこで、領土という妥協不可能なテーマを設定して、日中関係を緊張させる。そして中国の脅威を煽り「平和ボケした日本人に防衛意識」を覚醒させるのが前知事の狙いだった。自民党、維新の会を中心に改憲論が勢いづき、このままでは参院選で改憲勢力が三分の二を越すかもしれない。「同期の桜」の歌のように、若者を戦争に駆り立て、死に追いやる恐れがリアリティをもち始めた。(了)

オットット爺や

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