2010年12月-マレーシア最新芸術情報

 2010年を振り返る

 ヤスミン・アーマッド監督が亡くなって1年という記事を7月号に書きました。そのヤスミンの1周忌を迎える7月25日の数日前、ベンジャミン・マッケイというあるオーストラリア人が、”我が家(Home)“ と呼ぶクアラルンプールの自宅で、倒れて息を引き取っているのが発見されました。享年46歳。

 ベンジャミンは、偶然出会った故Tan Sri P. Ramlee の作品が切っ掛けで、博士研究もP. Ramlee やその他マレー映画の黄金期と言われる時代の作品を対象とし、2005年にマレーシアに移り住んでからは、映画評論家として各方面で執筆、当地の私立大学の教壇に立つ傍ら、自らのマレーシア映画の研究も進めていました。また、その人柄で多くの人々に愛され、インディペンデント映画をはじめとするマレーシアのアートシーンを支える重要な人物となりました。亡くなったと推定されるその日、彼は友人数名とイポーにドライブに行った後、Facebook 上にその友達への感謝の気持ちを書き込んでいて、その茶目っ気たっぷりの文章が、愛すべきベンの最後の執筆となってしまいました。

 そしてもう1人、マレーシアアート界は今年、大事な人を失いました。

 シーザー・チョンは、マレーシアで初の舞踏グループNyoba-kan のメンバーであると同時に、パフォーマー、写真家、建築家と、2足ならず3足、4足もの草鞋を器用に履きこなす、大変優秀な人材でした。海外で建築を学び帰国した後、建築家仲間と3人でS3というスペースを運営する傍ら、パフォーミングアーツや美術の世界においてもその才能を発揮していきました。常に前向きで努力を惜しまず、また人を助けることを苦としない彼には、皆いろいろな面で少し頼りすぎていたくらいかもしれません。癌に侵されていると分かってからたった2ヵ月、わずか35歳であっという間にこの世を去ってしまいました。8月に開催された第3回舞踏フェスティバルのオープニングでは、彼の写真作品が展示され、訪れた多くの人々が、それぞれに彼との思い出に浸っていたのでした。

 ここ数年、こういった重要な人物が相次いで亡くなっていたのですが、さすがにベンジャミンがなくなった時には皆動揺を隠しきれず、多くの関係者が、「どうしちゃったんだよ、マレーシア!」と口を揃えて嘆いていました。

 彼らの死を、彼らが残してくれたものをどう受け止めて、そしてこれからどのように前進していくのか。マレーシアのアートは大きな転換期に立たされているのかもしれません。

アティカ

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