KLのらりくらり徒然草 第130回-ロックダウン

KLのらりくらり徒然草

ロックダウン

両親がラオス旅行を終え、2月末に戻ってきた。当時、マレーシアのコロナ感染者数は30人未満だった。3月14日からのスクールホリデー。その頃には感染者数が200人近くまでのぼっていた。予定していたタイ旅行を止め、クアンタンにあるキャンプ場で3泊4日過ごすことにした。管理人以外、誰もいない野外生活の3日目、夕飯の支度をしかけたところにニュースが。翌日からロックダウン、州をまたぐ移動が禁止になると!大慌てで片づけKLへ。日付が変わる直前、無事に帰宅した。 両親は4月初旬にインドネシア旅行を、4月末に日本帰国の予定だったが、エアアジアが運休を発表。慌てて4月1日のMHを予約するも欠航に。あれよあれよという間に、関空行きが軒並み欠航となってしまった。先の見えないロックダウン。なんとしてでも帰国した方がいいであろうと、4月8日早朝発、ANA成田行きのチケットを購入した。その頃、タクシーは深夜早朝の業務が禁止、自家用車には一人しか乗られない。最寄の交番に問い合わせると、チケットの控えがあれば検問は通過できるという(8日から許可証が必要になった)。7日昼過ぎ、夕飯用の弁当、ゴーグル、手袋、マスク、サニタイザー、酒精綿を両親に持たせ、空港隣接のホテルまで夫が送った。日本ではこの日、7都府県を対象とした「緊急事態宣言」が発令された。
8日、日本時間15時15分、成田に着いた両親から状況報告。乗客数は6~7割だったが、10人ずつ降ろされてPCR検査に向かうため、機内で待機中とのこと。16時半、検査が済み指定ホテルの案内が出るまで待機。 17時、成田付近のホテルが満室のため、名古屋へ移動を告げられる。空港内待合室の利用も可能だが、トイレなどの共有を考えると、移動してでも夫婦一部屋が安全だろうと判断。18時半、ビニールシートで車内を覆った、物々しい「護送車」改め、バスで国内線乗り場へ。配られた軽食をとり、21時発の名古屋便を待つ。23時名古屋着。 9日午前1時、自衛隊の車で指定ホテルに送られ、配給弁当を食べて就寝した。 ホテルでは部屋から一歩も出てはいけない。食事は一日三回、弁当がドアノブに引っ掛けられるのだが、気配を感じてもドアを開けてはならない。アナウンスを聞いてからドアを開けて弁当を取る。食後のゴミはドアノブに掛けておくと回収されるというシステムだ。 9日19時50分、陰性との結果報告が入った。マレーシアで隔離生活だったし、陰性だと自信はあったが、ひと安心。 10日、国内線で再び成田へ戻り、横浜に住む叔父が両親を空港から千葉の祖父母が残した空家へ送り届けてくれた。陰性とはいえ、海外からの帰国者の感染が騒がれていた時期だけに、叔父もさぞかし不安であったろう。マレーシアから持って帰ったインスタントラーメンやら、出前などで食いつなぎながら2週間が経過し、23日、乗客4名の新幹線で、ついに大阪の自宅に帰りついたのだ。 トランジット24時間以上なんてヘッチャラな「老バックパッカー」の両親でも、さすがに今回の帰路は心身ともに堪えただろう。とはいえ、体調も崩さず、次々と関門を突破していく彼らには「不死身」という言葉がぴったりで、その頑丈さには、実娘ながら慄いてしまう。。 利秀

利秀 プロフィール 2001年来馬。チャイニーズの夫との結婚を機に永住を決意。大好きなマレーシアに振り回されつつKLライフを謳歌。現在3児の母。

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