2011年12月−ネグリ・スンビランの形成

 スマトラ島西部パダンを拠点とするミナンカバウ族。彼らはマラッカ海峡を経てマレー半島にわたり、小国をつくり上げた。それが現在のネグリ・スンビラン州だ。今回は彼らがマレー半島にやってきて、ネグリ・スンビランを形成した経緯を追う。

ミナンカバウ族とは

 ミナン語を話すミナンカバウ族はインドネシアのスマトラ島パダンを中心とする民族で、母系社会で成り立っていることで有名だ。土地や住居などの資産は母親から娘に相続される習慣をもつ。

 同族は「ムランタウ(Merantau)」という一種の出稼ぎの伝統もある。これは13歳を超えた少年が故郷を離れ、異郷の地で勉学や就職をして、資金を蓄えた成人後に故郷に錦を飾るというもの。もともとスマトラ島内だけだったがその後は島外も出稼ぎ場所の対象となった。

 敬虔なイスラム教徒でもあり、自尊心の強い同族の性格は外交的で社交性に長けている。こういった伝統もあるためか、知識人など優秀な人材をこれまで輩出しており、インドネシアのハッタ初代副大統領やシャフリル初代首相、革命家のタン・マラカなどインドネシア政界に影響を残した人物が多い。

スマトラ島からの移住と統治

 ミナンカバウ族がマレー半島に移住してきたのは、諸説あるが、16世紀ごろと見られる。ポルトガルの記録では、レンバウやナニン(現在はマラッカ州の地域)には16世紀初めにすでに同族が住んでいたとしている。マラッカから現在の州境のリンギ河を通じて、2地域に居を定めたのは、出稼ぎで錫の採掘と貿易のために来たとみられる。

 人口は周辺地域に徐々に膨らんだ。町も各地にでき、領主も現れる。この地域はジョホール王国の勢力圏であったが、同族から首長となる人物は出てこなかった。

 そんななか、スマトラ島シアク王国のラジャ・クチルがジョホール王国をのっとった。領主たちは同じ民族でもあることからか、ラジャ・クチルを支持。しかしラジャ・クチルは、マラッカ海峡一帯に勢力を持っていたブギス族に殺害されてしまい、領主たちはブギス族の報復を恐れた。そこで、領主代表らは故郷の王宮があるパガール・ルヨンに赴き、地域をまとめる首長を招くことにした。

 推薦されたラジャ2人がレンバウに別々に来たがすぐに帰国し、次にラジャ・メラワールが来た。彼はジョホール王国を訪れ、首長として承認を得た後にブギス族の軍勢を打ち破るなどし、現在のレンバウに「入城」。1773年に領主の集まりで彼は初代Yangdi-PertuanBesarとなり、周辺の9つの地域が連合して単一となり、以後、ネグリ・スンビランと呼ばれる。その後、王宮がスリ・ムナンティに建設された。

 しかし、錫の利権などが絡み、領主や土地の有力者同士などの争いは絶えなかった。ラジャ・メラワールの崩御後、後継者を巡って争いも起こり、領主らは再び故郷から首長を選んで連れてくる。この慣習は3代にわたり1824年まで続く。

再び統一へ

 3代目のラジャ・レンガンは崩御直前に嫡子を相続人として選んだものの、錫の利権などとも絡み、領主同士の争いがその後も続く。4代目が崩御した1861年にはネグリ・スンビランの連合体制が崩壊する。

 錫鉱山が多いスンガイ・ウジョン地区でも領主同士の争いは続き、英国の介入を招くきっかけとなった。英国はマレー半島の植民地経営の安定のために1874年に積極的に現地の介入を始める。ペラに介入した後にスンガイ・ウジョンの領主をシンガポールに招集。しかし、会議には英国の保護を訴えた領主の一人ダトー・クラナのみが出席し、英国は彼を同地区の首長とし、理事官も置くことに成功した。

 英国側はネグリ・スンビラン全体の支配を確立するため、61年に崩壊した連合体制の再構築にかかる。ほかのマレー諸国とは違い、スルタンがおらず、小さな地域に多くの領主が存在し、利権絡みなどで政治的に不安定であるため、この地域全体を一つに統合する必要性があった。6代目が88年に崩御してから徐々に各領主を説き伏せ、95年に連合体制を復元した。その地域は、レンバウ、ジョホル(Johol)、ウル・ムアル、イナス、グノン・パシール、トゥラチ、ジュンポル。これと同時に7代目トゥアンク・ムハンマドはネグリ・スンビラン全体のYangdi-PertuanBesarとなった。英国理事官が置かれたスンガイ・ウジョンとジュレブは98年にこの連合に加わった(地域名や範囲はその後変更されている)。98年の連合協定では、スンガイ・ウジョン、ジュレブ、ジョホル、レンバウの4地域の領主からネグリ・スンビランのYangdi-PertuanBesarを選出することを規定し、以後これにならっている。

 なお、1933年に8代目Yangdi-PertuanBesarとなったトゥアンク・アブドゥル・ラーマン(初代首相と同名)は、57年にマラヤ連邦独立時に初代国王に就任。現在、マレーシア紙幣に印刷されている人物である。また、ネグリ・スンビラン州のこの首長の選出の仕方は現在のマレーシア国王の輪番制の原型ともなっている。

葉一洋

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