2011年8月-独立の父、トゥンク・アブドゥル・ラーマン

独立の父として有名な初代首相のトゥンク・アブドゥル・ラーマン(1903〜90)。マレーシアの人たちの間では有名なのだが、彼に関してはあまり知られていない。今回は、57年のマラヤ連邦独立までの彼の人生を見ることにする。

幼少時の留学と英語

 ラーマンはケダのスルタンの子として誕生。母はビルマ人の血を引くタイ人で、スルタンの8人の妻の第六夫人だった。この母親の元で第4子として生まれ、ほかに兄弟姉妹が12人おり、異母兄弟は46人いたという。

 母親が子どもたちを主に世話し、精神的な病があった、王宮に住む父親とは別に暮らし、毎週金曜礼拝の後にスルタンが母子を訪れていた。

 ラーマンは、アロースターの英語学校に通っていたが、10歳のときにバンコクに留学。これはケダが長くタイの支配下にあったことなどが深く関わっている。兄とともに3年ほど過ごし、タイ語にも通じ、ラーマンは独立後の国会で「タイは自分にとって第二の故郷だ」と答えるほどタイへの親近感を示している。

 ケダに帰ってきた彼はその後、ペナンの「フリースクール」に入る。ここでも英語中心の教育を受けた。1920年頃にケダでは英国留学の奨学金を支給し始め、その最初の学生としてラーマンが選ばれ、17歳のときにケンブリッジ大学に留学した。

政治絵の目覚め

 ケダの摂政の指示でラーマンは同大学法学部に入る。しかし、まったく法律に興味がなかった彼は毎日のようにスポーツに明け暮れた。学生の大半は英国人だったが、タイ人が数人おり、彼らともよく遊んでいた。また、スポーツカーを運転しており、10年間の在学中にスピード違反など28回も捕まるなどやんちゃぶりを発揮している。

 入学してから6年後、ラーマンは帰郷することを決意。しかし、摂政から卒業するよう説得され、数ヵ月後に再び英国の地を踏む。この頃になるとマレー人の学生も増え始めたが、まったく団結力がないことに懸念をもち、「英国マレー人協会」を設立。30人ばかりが参加し、自身は事務局長に就任した。また、入寮許可が下りないなどアジア人として差別されることもよくあり、反帝国主義の考えも育ち始め、徐々に政治に目覚めた。

 しかし、相次ぐ試験の失敗などで、指導教官の勧めでラーマンは数年後に故郷に戻り、ケダの役人として働き始めた。

本格的な政治活動と独立へ

 戻ったラーマンはケダ役人として灌漑や貧困対策などに関わった。日本軍の占領下で、44年にラーマンの仲間が独立と社会主義を密かに掲げたSaberkasを結成。政党として許可は下りないため、協同組合店として表向きは活動し始めた。ラーマンは後援者となったものの、内心は独立はまだ時期尚早と考えていた。

 戦後にマラヤ連合が導入されると、Saberkasのメンバーは反英活動として武力で訴えることを主張。しかし、これを拒否したラーマンは後援者を降りた。一方でケダの貧困状況などを鑑み、改革断行には今一度法律の勉強の必要性を強く感じ、46年1月に英国に再留学する。

 この時期の英国滞在で、彼の右腕となるラザクと出会う。二人は意気投合し、マラヤの華人やインド人を迎え、独立には民族融和の重要性を唱え始める。

 48年にラーマンは、45歳にして法学試験に合格し、ついに卒業できることとなった。足掛け20年以上をかけて大学を卒業した。翌年故郷に戻り、ケダで次席検事として働き始めたものの、あまり満足する仕事をこなしていなかったようだ。

 そんななか、51年にマレー人統一国民戦線(UMNO)のダトー・オン総裁が辞職することになり、次期総裁としてラーマンに白羽の矢が立った。ラーマンとダトー・オンは、すでに帰国したラザクを推したが、同氏は固辞。ラザクら側近はラーマンを粘り強く説得し、ラーマンは最終的に立候補した。投票の結果、ラーマンはほか2候補を抑えて、圧勝した。

 UMNOは当時、ジョホールのダトー・オンの自宅を本部としていたため、別に本部を移すなどしたため、資金繰りは非常に厳しく、ラーマンは自宅や土地を売るなどして私財を投じた。

 独立するには華人との連合が極めて重要と認識し、ラーマンは52年の地方選を前にマラヤ華人協会(MCA)との選挙協力を取りつけた。この体制は、現在の国民戦線(BN)の先駆けとなり、民族別の政党による連合の基礎を築いた。その後、多くの地方選で勝利し、55年の立法評議会選挙も圧勝。マラヤ連邦の首席大臣(ChiefMinister)に任じられた後、56年に独立交渉団を率いて英国から独立を承認され、57年8月31日にマラヤ連邦が独立した。 反帝主義を掲げていたものの、留学時代からの英国人らの人脈と、寛大で誰にでもフレンドリーなラーマンの性格が独立を導いた要因はかなり大きく、彼が強い指導力を発揮したからこそ独立が実現したといえる。

葉一洋

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