2011年6月-マレー半島への中国人の渡来

中国人は19世紀になってマレー半島に本格的にやってきたのだが、実はそれ以前から断続的に渡来していた。今回は、マレー半島とその周辺に19世紀以前にやってきた中国人たちの足跡をまとめてみることにする。

初期の渡来

 中国の記録では、1349年にすでにシンガポールに若干の中国人らが居住していた。1377年には、スマトラ島を中心としたスリウィジャヤ王国内に中国人らがすでに住んでいたことも分かっている。現在の中国の広東省や福建省からの中国人であったという。

 しかし、人数などは明らかになっていない。1400年ごろに建国されたマラッカ王国には廈門(アモイ)や福建などから来た中国人が住んでいたことが確認され、1511年以降のポルトガル占領時代には約7400人が生活をしていた。貿易商人が多数を占めていたとみられる。しかし、1641年にオランダによるマラッカの支配後は中国人に対して厳しい措置を取ったため、マラッカから多くの中国人が脱出。それでも小売店や農業を営む中国人が300〜400人ほどいた。1678年には詳しい記録が残っており、男性220人、女性277人、子ども219人(それぞれ奴隷を含む)がマラッカ市内にいたうえ、その郊外にも400人以上が住んでいた。

17世紀の中国人たち

 17世紀に入ると、中国人たちの数は徐々に増加していく。

 英国の貿易商人ハミルトンは1719年に東海岸のクアラ・トレンガヌを訪問。年3回ほど中国からジャンク船が来ており、「人口の半分は中国人だった」と記録している。ハミルトンはジョホールでも中国人に会っており、約1000人が住んでいたと報告している。

 また、クランタンにも多数の中国人が目撃されており、そのほとんどが福建出身の商人や客家人の金鉱労働者だったという。ブルネイでも1776年に胡椒を栽培する中国人が多数いたとの記録があるが、それぞれ人数については伝えられていない。

 一方、マラッカではオランダの厳しい政策により18世紀の中国人の人口は激減。1760年には1390人、1795年には数百人を数えるのみで、ペナン島が英国に領有されて以降、そちらに逃げていったようだ。

 英国のフランシス・ライトは、1786年にペナン島の領有を宣言後、真っ先に訪れたのが中国人で、漁網を贈呈して来たと記している。ほぼ無人のペナン島はその後、人口が増え、8年後には中国人だけで約3000人に達した。その後、貿易商人のほか、胡椒や香辛料を栽培する中国人も増加し、19世紀に入るとその数は二倍以上に膨れ上がった。

本格的な渡来に向けて

 ここでマレー半島周辺における中国人の渡来足跡を追ってみる。特に際立って多かったのは、スマトラ島東部に位置するバンカ島(現在はインドネシア領)だ。ここでは1710年に錫が発見され、客家人を中心とした採掘労働者が1770年代にはすでに約3万人に達していたという。

 バンカ島は錫発見当初から中国がすでに目をつけており、中国国内で採掘される錫では需要が賄いきれないことから、同島の錫の輸入に努める。輸入された錫は鏡や急須、茶の容器、貨幣などに使われた。また、同島が勢力下にあった当時のパレンバンのスルタン家に入ったイスラーム教徒の中国人が、錫採掘技術を中国から持ち込み、中国でも人材募集を行って錫開発を積極的に行ったという。パレンバンはすでに現在の広州との貿易が盛んで、労働者らはジャンク船に乗ってやってきた。

 こういった状況を鑑み、1770年代にはオランダ東インド会社は、錫採掘をすでに行っていたペラ州のスルタンに対して、採掘労働者として中国人を雇い入れるよう助言した記録も残っている。

 さらに、1780年にはシンガポールの近くにあるビンタン島でも胡椒やガンビールを栽培する中国人がおり、その数は2万5000人に達していた。

 この時代にはバンカ島やビンタン島、現在のリャウ諸島、ボルネオ西部だけで計10万人に上る中国人が鉱業や農業に従事していた。

 もともと中国人は外部に移動する文化はなかったとの指摘もあるが、それではなぜ大量に海外に移動していったのだろうか。

 18世紀は中国全体で人口が激増した時代だった。1760〜80年の20年間で広東では2倍、福建では3倍に膨れ上がったと見積もられている。これに加え、広東では干ばつと飢饉が13〜30年にそれぞれ一回づつ、福建では8〜11年にそれぞれ一回づつ襲い、庶民の多くは極貧に喘いでいた。広東と福建は東南アジア各地との貿易港が古来からいくつもあり、ここから海外の情報が入り、賃金の話題も庶民の間に伝わっていたようだ。さらに、同業の錫の採掘や農業の仕事が東南アジアでできることも魅力があったのではないだろうか。中国人らは国内を移動することよりも海外に生活の糧を一時的に求めて外に出て行った。

 そして、19世紀に入り、ヨーロッパ各国の植民地化がアジア全域で始まり、さらに様々な要因が絡んで17〜18世紀よりも多くの中国人が東南アジア各地にやってきたのである。

葉一洋

関連記事

コメントは利用できません。

アーカイブ

ページ上部へ戻る