2012年2月−「マレーシア」という国名の誕生

1963年にマレーシア連邦が結成されて現在に至っているが、マレーシアという名称は実は19世紀から使われていた。今回は国名としての「マレーシア」の歴史に迫ってみる。

19世紀における使用

 「マレーシア」という呼称は、19世紀前半にはすでに英国では使われていたようだ。19世紀半ばにシンガポールで発刊された英字紙『ストレーツ・タイムズ』では1853年にはオランダ東インド会社船長の話を掲載し、「マレーシア」を何の説明もなく一ヵ所だけ使用。地理的な説明のなかの一節で使われ、おそらく読者にはどこを指していたか理解していたものとみえる。

 その10年後の「半島のアボリジニ」という題名の記事でも「マレーシア」という呼称がひょっこり出てくる。米国のキリスト教の布教団体関係者が書いたようで、記事には「マレー半島またはマレーシア」という表現で使われていた。

 また、英国の布教団体はジャウィやローマ字でのマレー語、中国語、タミール語などで発行された聖書を普及する聖書協会をシンガポールに置き、新聞に毎日のように出した同協会の広告でも「マレーシア」で布教活動を実施している旨を記載。19世紀の英語を読める階層のシンガポールの人たちはマレー半島のことをマレーシアと認識していたようだ。

 一方で、87年には北ボルネオ会社の提案で、英国領マラヤやシンガポール、サラワク、北ボルネオ(現在のサバ)を統合した「マレーシア連邦」構想と政治的な形でも現れてくる。

 英字紙『シンガポール・フリー・プレス』は1895年の記事のなかでインドの英字紙『マドラス・タイムズ』からの引用文として、「マレーシア連邦」という記事を掲載。インドでも「マレーシア」が使われていることが伺える。しかし、「連邦」は96年にマレー連合州という呼称になり、「マレーシア」は使われなかった。

国名への採用

 20世紀に入っても新聞上での「マレーシア」の使用頻度はあまり減らない。布教団体が一貫してこの呼称を使っていたが、一部では現在のインドネシアを含めた意味で「マレーシア」と呼んでいた。

 1932年には再び「マレーシア連邦」案が英国で議論になったがこれまた頓挫。第二次世界大戦が始まると、「マレーシア」の華僑による中国への送金や日本軍が「マレーシア」を占領し始めるなどの報道もされ、マレー半島のみまたはインドネシアを含めて混同して使用していた。56年になると、与党の統一マレー国民組織(UMNO)は独立後の国名について、「マレーシア」とマラッカ王国以前にマレー半島北部にあったとみられる王国「ランカスカ」の2つを提案。UMNOなどからなる連盟党の政治委員会は協議の結果、国名を「マレーシア」に決定するものの、当時のマラヤ華人協会(MCA)などが猛反対。国名は「マラヤ」にすべきとし、「国民的」議論となった。独立を付与する英国は、「マレーシア」にあまり好意的でなく、「マラヤ連邦」の国名で独立させる。それでも独立後のマラヤ連邦政府幹部は「マレーシア」を諦めたわけではない。61年に当時のラーマン首相がマレーシア連邦案を発表した際も「マレーシア」を使用。一部でこの国名の反対はあったものの、63年に結成される。これに伴いマレーシアは正式に国家名として誕生した。

お詫び:前号の文中で「華人」とあったのは「華僑」の誤りです。訂正してお詫びいたします。
*本来、参考文献などを挙げる必要がありますが、誌面の都合上、割愛しております。ご了承ください。

葉一洋

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