2014年1月-マレーシア・バティック

蘭やハイビスカスが熱帯を感じさせるマレーシア・バティックは、土産として人気がある。イスラームの教義から動物はあまり登場せず、たけのこやフウチョウソウ、ヤム芋、檳榔樹の葉などが図案化されたデザインもある。マレーシアのバティックは、ソンケット(錦織)やイカット(絣)などとは異なり、20世紀に入ってから生産されるようになった。今回はその歴史をみる。

バティックの起源

「バティック」はマレー・インドネシア語のtitikが語源で「点描」を意味する。転じてろうけつ染めの布を指すようになった。機械捺染の「プリントもの」や、ろうを使わずに染めたものに使うこともある。木版(のちに銅版)の型押しや、チャンティン(ろう置きに使う道具)を使った手描き、両方の組み合わせがある。

バティックの起源ははっきりしていない。布は劣化しやすく、断片は発見されているものの同定が難しい。放射性炭素測定で少なくとも14世紀と査定された、インド産と思われる布がエジプトから出土しており、インドのバティックがその技術の高さで交易品として広まったことがわかっている。日本にも江戸期に伝わって茶人などに愛好された。

誕生と進化

バティックの本場はジャワ島で、2009年にユネスコの世界無形文化遺産に認定されたのもインドネシア・バティックだ。マレーシアは隣国の影響を受けつつも、より現代的なバティックを発展させてきた。

産地として知られているのは東海岸のクランタンとトレンガヌで、ジャワ・バティックを模倣したものが1920年代頃から生産されている。最初はろうを使わない捺染によるものがつくられ、シルク・スクリーン印刷で大量生産が可能になった。1941年から45年までの日本占領下では物資不足で生産が途絶えたが、50年代半ばから政府が産業振興に乗り出し、新しいモチーフと技術が模索された。63年のマレーシア連邦成立に反発したインドネシアと66年まで国交を断絶したためジャワ離れが進み、マレーシア独自の図案を生み出そうという機運も高まったようだ。伝統に縛られていないという見方もできる一方、ろうを使ったものしかバティックと認めないインドネシアの作家などからは、別カテゴリーの布と見なされることもある。

サロン(腰衣)として用いられるバティックは、従来2メートル単位で製作されてきた。しかし洋服やインテリアにも使いやすいヤード単位の販売も始まった。ジャワでは好まれない、ろうのひび割れを生かしたデザインも生まれる。1970年代からは手描きバティックの生産も盛んになり、綿以外に絹や化学繊維も積極的に用いられ、筆の彩色によりカラフルな色合いが可能になったので、植物の葉を大胆に図案化したり、抽象的な模様を配したデザインも生まれてスカーフや土産品にも応用されている。女性に比べて洋服の多い男性も、正装ないし仕事着に適したデザインのシャツが生まれたことでバティックを着る機会が増えた。

現在バティックは、マレー人、華人、インド人や先住民のそれぞれの民族衣装とは別に、マレーシアを象徴するものとして位置づけられており、公務員は2008年以降、毎週木曜にはバティック着用を奨励されている。

*本来、参考文献などを挙げる必要がありますが、紙面の都合上、割愛しております。ご了承ください。

葉一洋

関連記事

コメントは利用できません。

アーカイブ

ページ上部へ戻る