2014年2月-郵便と通信の発達

19世紀になり、各州と道路で行き来できるようになったころから、郵便や通信設備もでき始めた。今回はマレー半島でどのようにこれらができあがったのかをみることにする。

郵便局の誕生

郵便局は英国などとのやり取りのため、マレー半島ではまずシンガポールに1850年代にできたのが始まりだ。その後はペナンとマラッカにもできた。74年に設立された万国郵便連合(UPU)に海峡植民地(シンガポール、ペナン、マラッカ)は77年に加盟した。以後は内陸の町でも郵便局がお目見えする。特にスズ鉱山と関係のある町で、タイピン、イポー、クアラルンプール、スレンバンに設置された。

ペラ州では84年までにクアラカンサー〜アッパー・ペラ間を道路を使って配達されるサービスも始まった。それまでは川を伝った配達だったが、これがマレー半島で道路を利用した初めての郵便配達だったようだ。90年代に入ると郵便業務を代行する代理店も各地に出現し、郵便事業は活況を呈した。99年にはマラヤ連合州(FMS)が州内各地の切手を統一した。その5年後にはFMS全体の郵便システムも統一。業務が円滑になり、FMS内の伝達手段がより迅速になった。

しかし、郵便局の設置は植民地経営に不可欠のスズ鉱山関連の町が中心であったため、ケランタンやトレンガヌ、ジョホールなどインフラ整備などが整わない地域では遅れる。ケランタンでは1904年頃に4軒ができたが、東海岸では道路でなく、1936年まで川を伝った蒸気船により配達された。ジョホールも1909年になってやっと郵便電報事業を開始し、シンガポールの企業との連絡や郵便為替取引ができるようになった。

電気通信の出現

19世紀に入ってから欧米では通信の高速化を図るため、電信線を使った電気通信(テレグラフ)が普及し始めた。英国は世界各地に地上や海底に電信網を設置し、帝国支配を強化した。

海峡植民地間の海底電信ケーブルは1859年にすでに取り付けられ、英国のインド政庁との通信に役立った。しかし、マレー半島内陸の都市の電信線の敷設は道路ができ始めた70年代に入ってからとなる。

70年代初頭に本格的な道路が作られたペラ州では、76年にタイピン経由のクアラカンサーとマタンとの間で電信線が設置された。これは治安維持のために植民地政府事務所の間で結ばれた。その後、電信線が本格的に設置されたのは10年後のセランゴール州で、紆余曲折を経てクアラルンプール〜クラン間がつながった。モールス式の運用だったが、シンガポールやペナン以外で、これを扱える人材が少なかったことから当初は人材確保が難しかったようだ。

電信線は道路や鉄道の発達とともに地方都市に広がった。中継地や電信線はその後、治安維持のための警察署や郵便為替取引のための郵便局でも利用できるようになった。当初は主に政府が利用していたものの、20世紀に入りテレグラフは郵便局などで徐々に民間人も使えるようになっていった。

上記のように、マレー半島全体の連絡手段は20世紀に入り、一部では第二次世界大戦直前になってようやく整った。電信線はその後、電話線の基盤ともなり、戦後は電話が広く普及した。

*本来、参考文献などを挙げる必要がありますが、紙面の都合上、割愛しております。ご了承ください。

葉一洋

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